昔の人は、本当にテレビが大好きだった。
私の母は、朝起きてから、家にいる間はいつもテレビをつけているような人だった。
戦争を知っている世代には多いのではないだろうか?
その影響で、私も見ていたけれど、
最近は見たくないものがついているとうるさくて仕方がないので、
見るのは、ビデオに撮ったドラマと、天気予報、ニュース、スポーツ。
それ以外は、テレビがただついているのが嫌。
そんなテレビ大好き人間だった母が、ある日を境にテレビをつけなくなった。
それは、オウム事件だった。
当時、脳卒中の後遺症でうつ病だった母は、
1985年3月のオウムのサリン事件をニュースで見た。
その後、民放各社は、毎日のようにオウム真理教について放送していた。
それを見ていると具合が悪くなる。
と、テレビを消すようになった。
体調もすぐれず、精神的にもあまり元気ではなかった母は、
テレビを失ったことで、さらに出来ることを失ってしまった。
正直、あの宗教団体が起こした事件と、その報道には、
そんな経緯からもとても頭にきていた。
最近、そのことをよく思い出す。
それは、8月に川内原発に核燃料を入れる映像を見た時からだ。
ニュースを見ていて、頭にくること、憤ることが多すぎる左近ではあるが、
あのニュースは、きれいな建物の中に、毒を流し込む映像に吐き気を催し、
静かに涙が流れた。
テレビは、色々なモノを映し出す。
そして、事実を知らせているような振りをして、
実は、そこに色を乗せている。
ニュアンスを変えることで、ニュースは違った意味を
こたつに入りながらぼやーと見ている人々に与え続けている。
そうして、簡単に洗脳教育を施す。
引っかかることは大切だし、
自分の感覚を働かせることも大切。
そこで垂れ流しにされる映像や言葉をそのまま信じてしまったら、
気付いた時には、もうこの地球は住めない星になっているかもしれないし、
その前に戦争というバカげた行為で、自分がいなくなっているかも。
色々なしがらみで、あらゆるモノが、権力によって左右されている。
大切なことは、
テレビなどで得た情報について人と話をすることだ。
この国は、なぜか政治のことを話すと嫌がる人が多い。
政治がないと生きていくことさえできないのに、
何故、声高に話し合うことが出来ないのか?
不思議な国だと思う。
私の母は、朝起きてから、家にいる間はいつもテレビをつけているような人だった。
戦争を知っている世代には多いのではないだろうか?
その影響で、私も見ていたけれど、
最近は見たくないものがついているとうるさくて仕方がないので、
見るのは、ビデオに撮ったドラマと、天気予報、ニュース、スポーツ。
それ以外は、テレビがただついているのが嫌。
そんなテレビ大好き人間だった母が、ある日を境にテレビをつけなくなった。
それは、オウム事件だった。
当時、脳卒中の後遺症でうつ病だった母は、
1985年3月のオウムのサリン事件をニュースで見た。
その後、民放各社は、毎日のようにオウム真理教について放送していた。
それを見ていると具合が悪くなる。
と、テレビを消すようになった。
体調もすぐれず、精神的にもあまり元気ではなかった母は、
テレビを失ったことで、さらに出来ることを失ってしまった。
正直、あの宗教団体が起こした事件と、その報道には、
そんな経緯からもとても頭にきていた。
最近、そのことをよく思い出す。
それは、8月に川内原発に核燃料を入れる映像を見た時からだ。
ニュースを見ていて、頭にくること、憤ることが多すぎる左近ではあるが、
あのニュースは、きれいな建物の中に、毒を流し込む映像に吐き気を催し、
静かに涙が流れた。
テレビは、色々なモノを映し出す。
そして、事実を知らせているような振りをして、
実は、そこに色を乗せている。
ニュアンスを変えることで、ニュースは違った意味を
こたつに入りながらぼやーと見ている人々に与え続けている。
そうして、簡単に洗脳教育を施す。
引っかかることは大切だし、
自分の感覚を働かせることも大切。
そこで垂れ流しにされる映像や言葉をそのまま信じてしまったら、
気付いた時には、もうこの地球は住めない星になっているかもしれないし、
その前に戦争というバカげた行為で、自分がいなくなっているかも。
色々なしがらみで、あらゆるモノが、権力によって左右されている。
大切なことは、
テレビなどで得た情報について人と話をすることだ。
この国は、なぜか政治のことを話すと嫌がる人が多い。
政治がないと生きていくことさえできないのに、
何故、声高に話し合うことが出来ないのか?
不思議な国だと思う。