ビデオテープが使用されなくなって久しい感じがするが、
DVDやハードにに録画する時でも、ビデオに録るという言い方をしてしまう。
それに対して、若者たちも別段変なリアクションはしない。
つまり、ビデオテープはなくなっても、
録画をすることは、「ビデオに録る」と
「ビデオ」という言葉はこの先も残っていくのだろうか?

そもそも私が芝居を始めた頃、ほとんどの家庭にビデオデッキはなかった。
ホームビデオカメラはもっと先だ。
だから私たちの世代で、子どもの頃の動画が残っている人たちは、
八ミリカメラとかで撮った画像であり、
必然「金持ちぃ~」ということになってしまうs。
しかし、今の若者たちは、歩き始めた頃の動画とか
きっとみんな存在するのだろう。

養成所の卒業公演は、写真でしか残っていない。
演劇の記録なのに、白黒写真のみだ。
動画がないのは残念だが、
その白黒の舞台写真はかなり美しい。

その後、テレビの仕事をするようになってビデオデッキが欲しくなる。
初めて購入したビデオデッキは、
二か国語放送を録画できる機能もついているちょっといいモノだったせいもあるが
28万円した。
そして、その時、一緒に購入したビデオテープは、
120分録画できるものが、
一本5000円したことを鮮明に覚えている。

当時のビデオテープはいいものだったのだろう。
かなり何度も上書きして使用した記憶がある。

電化製品は、びっくりするほどその価格を下げてゆく。

ビデオテープはもう買うこともないが、
CDもDVDも一枚100円とかで購入できる。
必然、扱いも雑になる。

DVDに映像を焼いて、それを見る。
つまらなかったらゴミ箱に直行だろう。

大量消費社会の出来上がりだ。

安く作られ、
安く購入したものは、
捨てることも容易く、罪悪感が少ない。

つまりそもそもどのくらいそれが必要で、重要で、大切なモノであるか?
それを考えて購入していない。

ビデオテープが5000円だったころ、
人々は、もっと大切にそれを使用していたのだろう。

金額の問題ではないが、
物を大切に使うためには、やはり購入時の判断が重要だと痛感する。

私たち消費者がもっと頭良くならないと、
物を作って売って儲けたい企業の思うがままに社会は回っていくのだろうなと考える。