1話から最終話まで一気に見られました。

こういう時間が持てることが私の幸せかなぁ。

面白いと確信が持てるドラマのいくつかは、

1話だけ見て、それ以降は全部録画してまとめ見。

今回選ばれたのは、この作品でした。

実際は、『問題のあるレストラン』の方が面白かったかも(まだ途中なので)

でも、主演女優、中谷美紀、水川あさみで、

脚本が橋部敦子さんなので、間違いはなかったのです。

(その点、『問題のあるレストラン』の方が、出演者がクエスチョンだったし、何より、初回が全員の紹介になってしまった分、ひきつけるまでに至らなかった)

 

さて、『ゴーストライター』

予想以上にドラスティックな展開でした。

特に後半の展開は凄かったですね。

橋部敦子さん、凄いです。

 

簡単に言うと、

遠野リサ引退に伴い、

自分の作家生命を奪われた川原由樹が、復讐とばかりに映画の完成試写会のステージに突然上がる。

当然、川原の勝利かと思いきや、力によってねじ伏せられる。

それどころか裁判で訴えられる。

ここから裁判ドラマになるのかと思ったら、

裁判はあっという間に遠野の勝利。

川原はある種病んでしまう。

ここから話はどこへ行くの?

と思ったら、遠野がTVで真実をぶちまけてしまう。

そして川原が元ゴーストライターという立場を利用して作家にのし上がっていく。

その後、今度は川原が書けなくなり、

久しぶりに書きたいことを楽しく書いた遠野が自分の作品を彼女にたくす。

なになに、ここから大逆転劇?

遠野がゴーストライターになるの?みたいなフリ。

そして共同執筆。

実は、これは私がかなり当初から考えた二人の解決策だった。

のだけど、こういう展開は全く予想しなかった。

最後はすべての人たちが救われて終わる。

ものすごいハッピーエンドだ。

 

ただ、いくつか気になることはある。

 

ひとつは、水川あさみさん演じる川原由樹のキャラクター

水川さんは、とても瑞々しくこの役を好演されていたのでいいのだが、

中谷さんのナレーションで、当初から、

彼女、川原の恐ろしさについては気づかなかった(言葉が少し違います)と

言っている。

実際、この文章は、二人の共作『偽りの日々』の中に書かれる文章のようで、

何度かナレーションで読まれるのだ。

これは必要なかったと思う。

川原由樹は最初から最後まで、遠野りさの熱烈なファンであり、

長野の田舎から出てきた純粋無垢な、小説家志望の、

しかしうっかり執筆の才能があった女性。

それでよかったのに。

まるで彼女に裏があり、何かがこれから展開しますよぉ~的なナレーションを作る必要があったのか?

としか考えられない。

 

キャラクターという意味では、小柳友演じる尾崎浩康についても、

遠野は、助手席に自分より下の女を座らせておきたい男と何度か言ってるが、

全体を通して彼はそうは見えない。

ま、これは遠野の読み違いということにしてしまえばいいのだけれど。

 

そして一番気になったのが、

全編通じて非常に重要な役割、遠野リサの母親、遠野元子である。

江波杏子さんが演じている。

かなり進行した認知症の役なのだが、

私は、こんな症状の認知症の人を見たことがない。

最初に登場した時、そもそも江波さんが認知症の役をやることにもずれがあったし、

実際、あの素晴らしい女優さんがうまく見えなかった。

しかし、話の流れで、回想シーンもあるし、これは江波さんに合っている役なのだとは分かった。

どんな人だって認知症になる可能性があるのだから、

それなら江波杏子さんが認知症の役をやったって問題はない。

しかし……

引っかかるのは、整合性だ。

娘の顔を、それもあれほど娘命だった母親が、

その娘の顔を忘れるくらい認知症が進んでいる場合。

あのような言動は、やはりないと思う。

それはかなりの重症であるから、

例えば、会話にならないとか、感情表現が自然ではないとか、

そういった症状が出ているのが普通だと思う。

なのに彼女は、都合よく、知的な会話も出来るし、優しい笑顔も見せる。

認知症の方の色々な症状を都合よく繋ぎ合わせたような感じがした。

私が、知らない、そういった理想的な進行をする認知症の患者さんが

ゼロでないならば、それでいいのだけれど。

 

どんなキャラクターの人物を登場させてもいいが、

整合性がなければならない。

それでなければ人間を描く意味がない。

『ウロボロス』というドラマを見ていて、

大けがをしても死なない主人公を見ると、

それだけで冷めてしまう私なのだ。

でも、これは重要なことだ。

なんでもアリなら、誰でもどんなコトでも出来てしまう。

制約があるからドラマチックになるのであり、

制約のないところに、本当のドラマは生まれない。