7月1日自民公明の与党は、
集団的自衛権行使容認を閣議決定するということで、
その前日から、
総理官邸前は、抗議活動で湧き上がった。
7月1日に閣議決定をすることさえ
知らなかった人は少なくなかった。
そもそもの問題は、そこにある。
こんな重要なことを
自民公明で勝手に閣議決定してしまおうという暴挙を、
(閣議決定と言うことにどれほどの力があるかはともかく)
すべての国民に知らしめない報道機関は一体どうなってるのか?
そう、与党の都合の悪いことは、あまり報道されていないのだ。
さて、その日八ヶ岳に居た私は、
いても立ってもいられなかった。
朝から、ツイッターで叫ばれる抗議行動の一部始終。
この日の抗議活動には4万人が参加したという報道もあった。
警察官の人数も半端なかった。
そして、原発反対よりも集団的自衛権の問題になると
圧倒的に若者が増える。
その中心はやはり大学生だ。
しかし、今回は中学生のグループの参加も見られた。
実際、今集団的自衛権行使が容認されると
その被害に遭うのは、大学生以下の若者が中心だ。
選挙権を持たない若者たちには、抗議活動しか手がない。
頭を使ってモノを考えない大人や(周りの意見に左右され過ぎるという意味)
一部の権力にしがみつく大人たちが選んだ政権によって
戦争に行かされては溜まらない。
ツイッターを読みながら、
中継の映像を見ては涙し、
行きたい気持ちを押さえつつ、
ネットで出来ることをいくつかした。
署名運動や、公明党へメールを送ることや……
そしてその日の抗議活動は深夜まで続いた。
若者が多い所以である。
しかし、その活動の一切をNHKという日本の半国営放送は無視した。
次の日は、朝から首相官邸は大騒ぎだった。
どんなに声を荒げようと
この日、与党が閣議決定するだろうと思われていた。
そして、閣議決定の時間が早まるという情報が入り、
抗議活動の開始も早くなり、
結果、閣議決定された後もドラムの音は鳴りやまなかったはずだ。
ネットで中継を見て、涙している私は、
あれを見て普通でいられたり、
うるさいと文句を言う一部の霞が関の人びと、
無表情でその前を通過する霞が関の人びと
無表情で彼らを押し込めようとする警察官たちが
異常な人たちに見えて仕方がないのだ。
あの場にいたら、
間違いなく、
声を上げている彼らの声に嘘がないことを感じられるはずだ。
人は、頭でモノを考えるのを辞めた方が良い時がある。
時々、頭を休めて
もっと感性を働かせるべきだ。
五感を働かせて、感じることに努めたら、
時の総理ではなく、
官邸前の涙の抗議の声に真実味を感じられるはずだ。
と、私は涙を流しながらいつも思うのだ。
が、そうでない人もいるらしい。
それが不思議でならない。
因みに私は、
以前は、改憲もありかな?と思っていた人だ。
しかし、今の政権下では、憲法改正はありえない。
そして、改憲をせずに、議論もせずに
集団的自衛権行使容認はさらにさらにあり得ない。
事実怒っていることに私たちはもっともっと目を向けて行かなければならない。
テレビや新聞だけではなく、
もっと事実を得ることが出来る情報媒体を持ち、
周囲の人とそのことについて語り合う場を持たなければならない。
集団的自衛権行使容認を閣議決定するということで、
その前日から、
総理官邸前は、抗議活動で湧き上がった。
7月1日に閣議決定をすることさえ
知らなかった人は少なくなかった。
そもそもの問題は、そこにある。
こんな重要なことを
自民公明で勝手に閣議決定してしまおうという暴挙を、
(閣議決定と言うことにどれほどの力があるかはともかく)
すべての国民に知らしめない報道機関は一体どうなってるのか?
そう、与党の都合の悪いことは、あまり報道されていないのだ。
さて、その日八ヶ岳に居た私は、
いても立ってもいられなかった。
朝から、ツイッターで叫ばれる抗議行動の一部始終。
この日の抗議活動には4万人が参加したという報道もあった。
警察官の人数も半端なかった。
そして、原発反対よりも集団的自衛権の問題になると
圧倒的に若者が増える。
その中心はやはり大学生だ。
しかし、今回は中学生のグループの参加も見られた。
実際、今集団的自衛権行使が容認されると
その被害に遭うのは、大学生以下の若者が中心だ。
選挙権を持たない若者たちには、抗議活動しか手がない。
頭を使ってモノを考えない大人や(周りの意見に左右され過ぎるという意味)
一部の権力にしがみつく大人たちが選んだ政権によって
戦争に行かされては溜まらない。
ツイッターを読みながら、
中継の映像を見ては涙し、
行きたい気持ちを押さえつつ、
ネットで出来ることをいくつかした。
署名運動や、公明党へメールを送ることや……
そしてその日の抗議活動は深夜まで続いた。
若者が多い所以である。
しかし、その活動の一切をNHKという日本の半国営放送は無視した。
次の日は、朝から首相官邸は大騒ぎだった。
どんなに声を荒げようと
この日、与党が閣議決定するだろうと思われていた。
そして、閣議決定の時間が早まるという情報が入り、
抗議活動の開始も早くなり、
結果、閣議決定された後もドラムの音は鳴りやまなかったはずだ。
ネットで中継を見て、涙している私は、
あれを見て普通でいられたり、
うるさいと文句を言う一部の霞が関の人びと、
無表情でその前を通過する霞が関の人びと
無表情で彼らを押し込めようとする警察官たちが
異常な人たちに見えて仕方がないのだ。
あの場にいたら、
間違いなく、
声を上げている彼らの声に嘘がないことを感じられるはずだ。
人は、頭でモノを考えるのを辞めた方が良い時がある。
時々、頭を休めて
もっと感性を働かせるべきだ。
五感を働かせて、感じることに努めたら、
時の総理ではなく、
官邸前の涙の抗議の声に真実味を感じられるはずだ。
と、私は涙を流しながらいつも思うのだ。
が、そうでない人もいるらしい。
それが不思議でならない。
因みに私は、
以前は、改憲もありかな?と思っていた人だ。
しかし、今の政権下では、憲法改正はありえない。
そして、改憲をせずに、議論もせずに
集団的自衛権行使容認はさらにさらにあり得ない。
事実怒っていることに私たちはもっともっと目を向けて行かなければならない。
テレビや新聞だけではなく、
もっと事実を得ることが出来る情報媒体を持ち、
周囲の人とそのことについて語り合う場を持たなければならない。