若いということは、傲慢無礼であるのだと知る。
最近の若い人たちと触れ合っていると
みんなとてもいい子たちだと感じる。
数人で群れをなすと悪いことをするような人たちも
ひとりひとり面と向かう機会があると、
みんないい子たちだと感じる。
しかし、次の瞬間(わざとではなく)非情な冷たさを感じることがある。
単なる疎外感と言ってもいいのだと思う。
若い時は、あんなものかな?といつも自分に置き換えて考えてみる。
私も若い頃はあれほど冷たく、失礼だっただろうか?
いえいえ、そんなに失礼ではなかったはず。
しかし、彼らに負けないほど無知ではあった。
そしてその無知さが、失礼な言動になる。
つまり私も年長者に対して同じようなことをしていたと思われる。
若い時は、すべてが自分中心でうまく行っていたりすることもあり、
周りが見えなくなることは多々あると思う。
時代がちょうど自分の上に乗っているような
「今は私たちの時代よ!」という時は特に。
だから「若い」ということは傲慢なのだとつくづく思う。
年配者の内面などうかがい知ることも出来ない(当たり前だ)
年長者にこれほど気を使っているのだから……と思っている。
結局は、失礼なのではなく、
ジェネレーションギャップがずーっとずーっと続いているのだ。
話す内容だけど聞いていると、
今の若者の中には素晴らしい子がたくさんいる。
私はこんな風には考えていなかったなと、感心することがたくさんある。
ただ、言葉にして言えているほど、
実感として分かっているかどうかは別のコト。
誰かに言われたことをそのままなぞっているだけかもしれないし、
単に目上の人と会話する時は、その人に合わせているだけかもしれない。
それでいいのだとつくづく思う。
いいというより、仕方がないのだと。
それでも時々、私は言ってしまう。
言っても分からないだろうと思いつつ、
言っても無駄かもしれないと思いつつ、
言ってしまう。
私が半世紀生きてきて学んだことを。
それはやはり無駄だとしても繰り返すべきことだと思うし、
もしもラッキーにも頭の片隅に残っていて、
数年後、その人が同じくらいの年齢になった時に、
ほんの少しだけ思い出してくれたりしたらとっても幸せだから。
最近の若い人たちと触れ合っていると
みんなとてもいい子たちだと感じる。
数人で群れをなすと悪いことをするような人たちも
ひとりひとり面と向かう機会があると、
みんないい子たちだと感じる。
しかし、次の瞬間(わざとではなく)非情な冷たさを感じることがある。
単なる疎外感と言ってもいいのだと思う。
若い時は、あんなものかな?といつも自分に置き換えて考えてみる。
私も若い頃はあれほど冷たく、失礼だっただろうか?
いえいえ、そんなに失礼ではなかったはず。
しかし、彼らに負けないほど無知ではあった。
そしてその無知さが、失礼な言動になる。
つまり私も年長者に対して同じようなことをしていたと思われる。
若い時は、すべてが自分中心でうまく行っていたりすることもあり、
周りが見えなくなることは多々あると思う。
時代がちょうど自分の上に乗っているような
「今は私たちの時代よ!」という時は特に。
だから「若い」ということは傲慢なのだとつくづく思う。
年配者の内面などうかがい知ることも出来ない(当たり前だ)
年長者にこれほど気を使っているのだから……と思っている。
結局は、失礼なのではなく、
ジェネレーションギャップがずーっとずーっと続いているのだ。
話す内容だけど聞いていると、
今の若者の中には素晴らしい子がたくさんいる。
私はこんな風には考えていなかったなと、感心することがたくさんある。
ただ、言葉にして言えているほど、
実感として分かっているかどうかは別のコト。
誰かに言われたことをそのままなぞっているだけかもしれないし、
単に目上の人と会話する時は、その人に合わせているだけかもしれない。
それでいいのだとつくづく思う。
いいというより、仕方がないのだと。
それでも時々、私は言ってしまう。
言っても分からないだろうと思いつつ、
言っても無駄かもしれないと思いつつ、
言ってしまう。
私が半世紀生きてきて学んだことを。
それはやはり無駄だとしても繰り返すべきことだと思うし、
もしもラッキーにも頭の片隅に残っていて、
数年後、その人が同じくらいの年齢になった時に、
ほんの少しだけ思い出してくれたりしたらとっても幸せだから。