私もこれまでの人生で2つの案件で法律家と接したことがある。


その二つの経験から、

私は法律というモノは(裁判と言った方が分かりやすいかも)

正義ではないと知っている。

法律で何かを解決しようとするとき、

そこには正義はない。

だから、正義感を持って臨んだ人は必ずがっかりすると思う。

法律は、ある対立する問題が発生した時に、

それを便宜的に解決するためのルールであって、

正しいわけではないのだ。


それでも、仇討の制度がない以上、

裁判という形でしか憤りのぶつける方法を見つけられない人もいるだろう。

しかし、私は多分、生涯、何かの問題を法の世界で解決してもらおうとは思わないだろう。

それに勝って満足するためには

想像を絶するエネルギーとお金と時間が必要だからだ。

一生をそれに捧げるつもりでないと…


そもそも、多くのことは心から誤っていたら済んでいたのではないかと思う。

医療ミスでも、病院がその事実を隠さずに患者に伝えて、

心から謝罪したら患者の家族は泣きながら受け止めるしかないように思う。


私も上記のうち1件の案件の時は、

当事者が誤ってくれるのではないかと思い

家庭裁判所に出かけた。

が、最初の面会で分かったのだ。

ここは謝罪を求める場所ではないのだと。

それが分かった時に、もうどうでもいいと思ったし、

そこにいた法律家(家裁なので彼は裁判官でも検事でもないのだが)には

心底頭に来たので、

二度とああいった場所に足を踏み入れたくない。と思っている。


因みにもう一件はニューヨークにいた時のことなので、

状況はかなり違う。


とにかく法律家も医者も警察官も

ある重大な事件に遭遇して、

とても彼らを必要とし、頼りにした瞬間

裏切られた気分になる。

そこに正義感とか人間としての感情とかをこちらが求めすぎているのかもしれない。

何故なら、その時私の周りでは大切な人の命が掛かっていたりするわけだから。


医者と警察官は、何かがあったらまたお世話にならなければならないので仕方がないが、

法律家とはかかわらないで生きていける可能性があるので、

そうやって生きていきたいと私は思っているのだ。


因みに私がもっとも正義感が強いと思っている職業は

「消防士」である。

私の前の家は、消防署の真ん前にあって

二十数年間、毎日彼らを眺め、

時々お世話になっていたのだが、

彼らは本当に素晴らしい人たちだった。