今回も重松清さんの作品を一冊だけ図書館から借りてくる。
以前からチェックしていた「エイジ」と言う作品。
読み始める。
あまり面白くはない。
一章に一度くらい、
うーん、この表現はなかなかいいぞ!という文章に出逢う程度。
登場人物の、
先日読んだ「きみの友だち」にちょっとダブル。
ああ、こういう人物が好きなんだ。
そのうち、
ああ、これは誰か強烈なモデルがいるのかな?
重松清さんの本は、
調べてみたらこれが5冊目
すっごく面白かった2冊と
たいして面白くなかった1冊がある。
だから、これもこの程度か……でも仕方ない。
本も当たりはずれがある。
読む時間が無駄っていう本もたくさんある。
重松さんのように一度好きになった作家には、
この「時間の無駄」と感じるほどの外れ作がないから嬉しいのだ。
そして、読み進める。
半分過ぎたあたりから、かなり凄い!
ストーリーが繋がってきて、
展開が早くなる。
つまり私がページをめくる手を止められなくなる。
素晴らしい本だと思う。
そりゃあそうだ、この本は何かの賞を取っているはず。
調べると山本周五郎賞だった。
山本周五郎さんの本はあまり読んでないから、
この賞の意味するところがあまりわからないが……ともかく
私の感想は、
現代の男の中学生の気持ちが、分からない。
重松さんの本を読むと、
現代の中学生の心が本当によく描かれている。
そして、その書いていることが分かればわかるほど、
中学生の気持ちが分からない。という結論に進んでいく。
それにしても、「いい!」
この微妙な感覚をずーっと私の心に残し続ける。
訳のわからなさを。
そして中学生は中学生なりにとっても考えているんだなと。
そりゃあそうだ。
自分の中学生の頃だってきっとモノを考えて、悩んで生きていたのだ。
そして、現代の中学生はまた違う悩みも増えている。
この本では、「すぐに切れる中学生」と言われることの多い時代の中学生を描いている。
でもすべては大人が言ってることで、
時代は多少変わっても、
中学生の考えることにそれほど変わりはないのかもしれない。
どうしようもならない時代の中で
カッコ悪いことが大嫌いな中学の男の子が最後に救われるのは、
好きなことをやることだった。
好きなことがあることは素晴らしいことだ。
好きな人がいることも素晴らしいことだ。
そう、好きと言うことでいろいろなことが救われることがあるのだろう。
私の中学時代は好きなことに埋めつくされていた。
将来になるものも決まっていた。
好きなことにまい進し続けられた私は、
やはり幸せな時代に幸せに生きられた中学生だった。
でも、それでも、それなりに悩みはあったのだと思う。
感想文を書くのが非常に難しい。
そのくらい微妙な心のヒダを見事に表現している本であり、
つまりは、
本を読まなければこの微妙さも分からないし、この雰囲気も分からない。
映画を作ってこれを伝えるのも至難の技だろう。
そう、重松清の本を読まなければこの世界観を共有することが出来ないならば、
これほど作家として凄いことはないのかもしれない。