『瞬 またたき』という映画を見て思った。
特に前半を見てて思った。
浅い……
作品がどうしようもないとか、
役者がダメとかそういう事ではない。
そもそも主演の北川景子さんは、真摯に役に取り組んでいる姿と、
モデル出身(ですよね?)とは思えない演技を見せている。
(演技的に問題があるとしたら、大塚寧々さんの方。これはさておき)
しかし、浅い。
これではテレビドラマだ。
演出が悪いのか?
それとも単にお金がなくて、時間を掛けられないのか?
勿論、時間を掛ければいいと言うものではないけれど、
実際、この映画でも田舎の緑が、
邦画によくあるとても美しい色を出していた。
しかし、その美しい景色もなんかとってつけたような気がしてしまう。
どうしてだろう?
そういえば、これの前につまらない邦画を見た。
こちらは本当につまらなかった。
『シーサイドモーテル』という作品。
小劇場でよくやりそうなストーリーだ。
アイデアは悪くない。
それをなんとかラストの写真にロマンチックに持って行きたいのだろうが、
どうにもこうにも………………………………浅い。
2500円出せば見られる中央線沿線の小さな小劇場でやっているような作品だ
(?????微妙な表現で失礼m(_ _ )m)
でも、これだけのメンバーが出演しているのだから、
映画なのだから、
そんな安い製作費で作れるとは思えない。
どうしてこういう作品が多産されているのだろうか?
小劇場をやってきて、時々こんな作品に出あった。
これは舞台作品ではなく、映画のような作品。
聞けば、演出家や脚本家が映画志望だという。
でも映画はお金が掛かるけど芝居ならそこそこの予算で作れる。
だから演劇を作った。
むか~っ( ̄へ  ̄ 凸
映画を作りたいなら映画を作れ!
この作品もアイデアだけは「それっ、面白いじゃん!」と始まってみたけど、
脚本が悪い。
役者も酷く下手に見える。
さて、元の作品に戻る。
『瞬 またたき』
これはそれほどひどい作品ではない。
でも、「浅い」と感じてしまった。
私が一番いいたいのは、
これでもいいじゃないっていう風潮がだんだん強くなることが怖いのだ。
この作品は何度も言うが悪くはない。
だからこういう作品があってもいい。
のだけれど、
こういう浅い作品ばかりになって、
今の若者たちが、そういう作品でしか理解できなくなったり、
簡単な感動ばかり求めていくことが怖い。
そもそも芸術とはそういうモノではないのだから。
そして、芸術に触れることで人々の感性はどんどん磨かれる。
たとえ、訳分からない作品でも、きちんとしたものならば、それに触れる価値がある。
そんなことをもう十数年考えながら作品を作ってきた。
そして、この作品を観てまた感じてしまった。
話は変わるが、この作品で、亡くなった彼氏の母親役を演じていた永嶋暎子さんという女優さん。
この映画では彼女だけが正しいだけではなく、
重みも存在感も出し、魅力的だった。
決して出しゃばらず、しかし、しっかり存在していらした。
昔から変わらない女優さんだ。
私は、永嶋暎子さんと一度ご一緒させていただいたことがある。
だから、とても印象深い方なのだが、
こういうしっかりした芝居をされる方が周りを固めてこその主演なのだ。
だから、この映画では、
永嶋さん以外の方に周りを固めて貰えなかった
北川景子さんが惜しい状態になってしまっていた。