渡辺美佐子さんを久しぶりにテレビで拝見したような気がした。

この年代の女優さんには、

演技派と呼ばれる女優さんが多くいるが、

実は、本当に演技派の方はそれほど多くないのかもしれない。

と時々ある先輩女優さんを見て思うことがある。

しかし、渡辺美佐子さんは間違いなく、

演技力と言う点で素晴らしい女優である。

(と私のような後輩が大声で言わなくてもみなさんご存知のコト)


私が渡辺美佐子さんで印象的なことは、

彼女がテレビドラマによく出ていらしたころのコト。

テレビドラマに出るのは、

自分がやりたい舞台をやるため。

とはっきり言っていたこと。


舞台はそもそもお金にならない。

きちんと作ると儲けが出ないのだ。

正確に言うと、

ロングランをやるか、

かなり大きな劇場で(後方の席の人には豆粒のようにしか見えない劇場状況)やらない限り、

黒字にならない。

だから自分たちの劇団で、

ある種、やりたい作品を発信していくような形ではなかなか収益が上げられない。


ひとつは、主演女優である彼女が売れることで

客寄せパンダになるという事。

もうひとつは、

彼女の収入をそのまま素晴らしい舞台を作るために投資すること

その二つが大きな目的ではないかと思うが、

舞台をやるためにテレビに出た。

そして、彼女は有名な女優さんであるにも関わらず、

その後、あまりテレビには登場しなくなる。

きっと今回のように素晴らしい作品に出合わない限りは、

つまり作品を選び抜いて出演されているのだと思う。


そんな訳でかなり久しぶりに拝見したような気がした。

通常、久しぶりにある人を見かけると

圧倒的な印象として

「老けたなぁ」と感じる。

当たり前だ、歳をとったのだ。

人はみな歳をとる。

毎日会っている人は

それほどのショックを感じることなく、

一緒に歳をとっていくが、

久方ぶりに会う人は、

少なからずびっくりすることになる。

年を取ることは、いいことよりも悪いことの方が多い。

だから、「老けたなぁ」と感じた時に、悪い印象でそう感じるコトの方が多い。


ところが、

今回のドラマで見た渡辺美佐子さんは、

本当に本当に素晴らしくパーフェクトなおばあさんになっていた。

顔は、おばあさんなのだ。

しかし、眼に力があり、口に力があり、

そのためセリフが明瞭で、芝居が思い通りで、

つまり、役者として完璧なおばあさんを演じるためにパーフェクトだったのである。


歳をとるにしたがって、

役者として感性や内面は優れていくが、

肉体的な衰えによって、思い通りに演じられないことは多々あると思うが、

渡辺美佐子さんのような年の取り方をすれば、

パーフェクトなおばあさんが演じられる。

そんな女優さんをいままであまり見たことがない。


前半の気の強いお姑さんの時の素晴らしさ。

表面的には非常にきつく当たるのだが、

実際、言葉少なに接するおばあさんが、

ある時、少し愛情を見せてくれると

涙がでるほど嬉しい。


最近は、弱い若者が増えたせいで

表面的な優しさが増えたように感じる。

人はもっと奥深い所で

しっかりと優しさを持っていればいいのではないだろうか。


このドラマの中で彼女は末期がんで死んでいくのだが、

その経過も(もちろん化粧の力も借りて)パーフェクトなのだ。

顔が、その眼の力が、その皮膚が、

生命力を失っていく。


こんな迫力で、こんな凄いモノを見せつけられると、

私は……

うまく表現できないのだが、

……

私の心の中に、私の頭脳の中に、

ある「無」のようなモノが発生する。

それは、かつて、私がティーンエイジャーだったころに

女優を目指してすべての時間と肉体と感覚が

それに向かっていた頃の

あの何とも言えない感覚。


ごめんなさい。

言葉では表現できないです。

でも、

役者をやって、

ある種、このような感覚を得たことのある人は

もしかしたら、この貧しい文章表現の中から、

その残り香だけでも感じ取ってくれるのではないかと

そんな希望を持ちながら、筆を置きます。

(って筆持ってないんだけど……)