この映画の中で

カラオケを歌うシーンがある。

夫が亡くなったあと、

彼との思い出の場所のステージに立つ。

歌い始めるその瞬間、すべての観客が消えて、

客席中央に、夫の笑顔がある。

私にもこんな経験がある。

私が舞台に立つとき、

いつも客席の中央奥に母が見えた。

母は、病気になるまでは、

私にとって一番の観客だった。

数千人の大きな舞台に立つ時も、

100人弱の小さな舞台に立つ時も、

遠く名古屋の舞台に立った時も、

母はいつも観に来てくれた。

早めに現地に到着して、

自由席の時は、

後ろの方の中央席をキープして観劇。

終わると差し入れだけ置いて

さっさと帰ってしまった。

母が亡くなって10日後、

私はまた舞台に立っていた。

その芝居からはいつも、

舞台の上に立つと、その客席に亡き母が居るような感じがした。

舞台に立つ、

芝居や劇場やシーンによって違うのだが、

照明がこちらに当たっていて、

観客席が全く見えないことがある。

または、

前の方の席のお客さまの足だけ見えて、

とにかく観客の顔は全く見えない。

そんなモワーッとした視界の中、

中央奥に、母の顔が見えた。

はっきり見えた。

母が見守ってくれていると思うと安心できた。

その後、

私は舞台に立つ時、

最初の一歩を踏み出す前に、母に言葉を掛けるようになった。

舞台の神様にも声を掛けるが…

そして、

いつも通りの芝居が出来るように自分を落ち着ける方法を得た。

舞台の神様は、たまにしか降りてきてくれないが、

母はいつもそこに居てくれた。

ある時から、

観客席に母の顔をイメージしないようになった。

それは、母を忘れたわけではなく、

もう私が母に守られなくても大丈夫になったということだろう。

亡くなった人のことは決して忘れない。

ただ、

思い出す間隔が広がっていくだけだ。

強烈に思い出した時、

何年経っても涙が出るし、

どれだけ時間が経っていても無性に会いたいと思う。

ここに居てくれたらどれほど素晴らしいだろうと思う。

そしたら、

一緒にこんなことが出来るのに、

こんな話をしたい。

こんなことを……

そして、鼻がツーンとして、涙が出る。

愛している人のことは、

きっとこうやって一生涯、思い出しては涙する。

それは決して辛いだけのことではないと思う。

何故なら、

それほど自分にとって大切な人がいて、

愛することが出来たことが素晴らしいから。