ニューヨークに居た時、
身体の不自由な人や、ホームレスが、
路上だけではなく、地下鉄の中で、
寄付してくれとコーヒーカップをこちらに向ける。
それは1ブロックに1回は起こり、
路上募金をしない主義の私は、基本的に一切しなかった。
しかし、アメリカ人はよくお金を入れる。
地下鉄の中で、ホームレスが車両に入ってくる。
その車両を通過する間に、
チャリンチャリンとカップの中に小銭が入っていく。
その都度、そのホームレスは
「God bless you」と言葉を贈る。
そう、宗教の違いかと思っている。
子どもの頃、東京には、
当時こじきと呼ばれる人たちがいた。
戦争孤児や、戦争で負傷した元兵士が、
身体の一部に包帯を巻いて
国旗に墨で文字が書かれたりしていて、
お金をせがんでいた。
その映像は、子どもにはとってもとっても怖いモノだった。
大人たちは、「見ないの!」と私たち子どもに教育した。
今考えたら不思議だ。
戦争で負傷した人たちだったのに。
でも、当時は意味がよくわからなかった。
ホームレスは、基本的にお金をせがまない。
その当時、こじきと呼ばれた人たちとは全く違うのだ。
ホームレスは家を持たない人たちであり、
働いている人もいるし、預金を持っている人もいる。
そんなことよりも、
彼らは、一般人に物乞いをしない。
それでもお金に困っている人たちであることには変わりがない。
今度、ニューヨークに行ったら、
(人生にあと一回は行く予定なのだが)
路上のホームレスのカップに小銭を入れようと、何故か心に決めている私がここにいる。
きっと、何か違う経験とともに、違う感覚が起こるのだと思う。