うまく年を取るコトは難しい。

人生には上を向けばたくさん先輩がいるのに、

老いるということの悪い面を教えてくれる人がなかなか居ない。


まず、41歳で気づいたこと。

老眼になった。

私の周りではみーんな41歳で老眼になった。

老眼って老人の目のことかと思っていたら、41歳でなった。

41歳は老人?


なった人はみんな分かるでしょうが、

41歳はまったく老人ではないです。


遠視の人はそれが早く感じられる。

それまで目が悪くないと思っていた遠視の人に突然老眼の症状がやってくる。

結構気づかなかったりする人もいる。


私の場合、同級生4人と話していたら、

「私はまだ老眼になっていないよ」って言っていた友人に

こんなことない?

これ、見えにくくない?

など質問したら

「あるある」と言う答え。

結局、近視の人も遠視の人も41歳でその兆候が少し現れた。


ある朝、電車の時刻表を見る。

どう頑張っても数字が見えない。

度のついた眼鏡がないので、どう頑張っても見えないものは見えない。

次の日、100均で、老眼鏡を買う。


親も遠視だったので、かなり度の進んだ老眼鏡をしていた。

目がぼよよんちゃんになっていた。

普通でも大きな二重瞼の目が、1.3倍くらいの大きさにいつも膨れ上がって見えた。

病気をしてからの母の目は、力がなくなっていて、余計にぼよよんちゃんだった。

でも、それが41歳から始まっていたなんて知らなかった。

もし知っていたら、40歳までにもっと本を読んでおいたのに。

今は、眼鏡を掛けなければならないので、活字を読むのが億劫になった。

さらに、この老眼と言う視力は、60歳くらいまで進み続けるらしい。

いくら眼鏡を作ってもすぐに合わなくなる。

だから、100均の老眼鏡が、部屋にひとつずつ置かれていく。


老眼と言う名前がいけないのかもしれない。

41歳で始まるというコトは、

人生80年の今、人生の半分は老眼ということだ。

それは呼び方が間違っているのではないだろうか?

人生の半分が老人のわけがない。

でも、人生50年の時代には、40歳から老人というのはなんともピッタリしっくりする。


かなり例外なく、私の周りでは41歳で老眼が始まりました。

本人が気づいていたり気づいていなかったり、

眼鏡を掛ける必要があったり、なかったりの差はあるけれど、

その兆候が始まったという意味です。


近視の症状がない人は、その進み具合も非常に早いです。

だから、それ以前に、目のいいことを自慢して、

その目のいいことを利用しておいた方がいいです。


若い時に読書をもっとすることをお薦めします。

漫画やゲームをやりたいならば、目に悪いような気はするけど、若い時にしか出来ません。

老眼が落ち着いて、

そう、60歳になり、

目にフィットする眼鏡を購入し、

またゆっくり読書を楽しめる日々が来るのを、

今は心待ちにしているのです。