2010年11月12日放送 桐生女子児童いじめ自殺事件について | 茨城大学人文社会科学部正保研究室

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1. 桐生市で小学校女子児童がいじめを苦に自殺するという事件がありました。

とても悲しいことで、本当にやるせない気持ちになります。今回の事件は、昼休みに給食で仲間はずれにされたことが主な原因ではないかと言われています。具体的に言うと、給食を好きな者同士で食べるようになり、孤立してことが原因ではないかというものです。このいじめ事件は2つの意味で大きな問題を投げかけていると思います。

 

2.そもそもいじめとは何でしょうか。

以前の文部科学省の定義では、「1.自分より弱い者に対して一方的に、2.身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、3.相手が深刻な苦痛を感じているもの」とされていましたが、近年(2007年)では「一定の人間関係のある者から、2.心理的・物理的な攻撃を受けたことにより、3.精神的な苦痛を感じているもの」とされています。これはいじめをより広く捉えて、被害者の気持ちにそって捉えようとする動きを反映しているものと言えます。

また、そもそもいじめについては大阪市立大学の森田先生が「いじめの四層構造論」をとなえています。

これはいじめを、被害者、加害者、観衆、傍観者の4つに分けるもので、この4つを円の内側から並べていきます。

つまり円の一番中心部に被害者がいて、それを加害者が取り巻いています。さらにその外側には観衆がいますが、これは加害者のいじめをはやし立てたりして間接的にいじめにかかわる存在です。そして一番外側の傍観者は見て見ぬふりをする存在です。

 

3.今回の事件の問題点は?

今回の事件で注目すべきなのは、明らかな加害者が存在しないことです。他のすべての児童は加害者のようでもあり、観衆のようでもあり、傍観者のようでもあります。おそらく全員自分が積極的にいじめを行っているとは認識していなかったのではないかと思います。その意識に比べ、結果的に一人の命が失われたという事実は大変思いものがあります。この点で、今回の事件はいままでの他のいじめ事件とは少し性質が異なるような気がします。

 

4.今回の事件はいままでのいじめ事件とは少し違いそうです。

ところで、話は変わりますが大学の授業でこんなことがよくあります。

授業中に学生相互で簡単なワークをやるために二人組とか三人組といったグループを作らせることがあります。メンバーはなるべく知り合い同士でない方がいいので、その旨を学生に伝えて、なるべく知らない者同士でグループを作るように指示します。学生は少々戸惑いながらも、おずおずと他の学生に声を掛け合ってグループを作っていきます。

しかしできあがったグループを見てみると、どことなく雰囲気の似通った学生同士がグループを作っていることが多いのです。

端的に言うと、きちんとしたまじめそうな学生と髪を染めたチャラい学生がペアを組んでいるなどということはまずないのです。そうではなくて、確かに知り合い同士ではない初対面のペアなのかもしれないけれど、どことなく雰囲気の似通った、空気感の共通した者同士がペアを作っていることが多いのです。

 

ある人によれば、人間が二人集まると上下関係ができ、人間が三人集まると派閥ができる、と言います。このことは人間がいかに群れやすいかということを言い表していると思いますが、ここで人が群れるとき、人は何を条件に群れるかということが重要だと思います。

子どもは何で群れるのか、それは雰囲気ではないかと思います。同じような匂いのする、同じような空気感を持った相手と群れるのです。それはそれで構いませんが、そのようにしてグループを作っていくとどうしても外れる子どもも出てくることになります。

 

5.どうすればいいのでしょうか。

先の大学生の例に立ち返ってみると、「知らない者同士でペアを作れ」と指示された学生は、ある種の不安状態に陥っています。その不安を少しでも緩和するために学生は自分と似た者を無意識のうちに探していると言えるかもしれません。

給食で好きな子どもとのグループにこだわった子どもたちにも、何かそうさせる見えない欲求や圧力があったのではないかと推測します。

そのようなときに、子どもたちに「ダメなものはダメ」と強い気持ちで関わっていくことも重要だと思いますが、他方、子どもたちに抜けているもの、子どもたちが必要としているものを感じ取って、それを補っていくかかわりも必要かと思います。「群れの背後には不安がある」という視点で子どもたちを見て行くと、違ったものが見えるかもしれません。