いつも自分で押している買い物カートが思うように動かなかったせいか、
久々に床に転がって泣きはじめた。
出入り口付近だったので、周りに迷惑にならないように気を配りつつ、
しばらく寝そべる息子をただそばで見守りながら、自分の心の動きを感じていた。
3週間前にはない心の穏やかさ…
これはきっと、自分の中で過去からのこころの問題がほぐれてきているからだと思う。
色々と本を読むうち、また時間をかけて過去を振り返りノートに書き出していくうち、「今この時」に意識を向けるうち、
確実に気持ちをコントロールできるようになってきている。
以前の私がこの状況をどこか恥ずかしいと感じて人目を気にしたり、イライラし始める原因が、自分が幼い頃に親や周りの環境によって与えられてきた“刷り込み”であったこと、
その刷り込みによって、幼い時には誰の中にも備わっている素晴らしい「感覚」が塞がれてしまったことが分かった。
それ以来、その「本来の感覚」(身体やこころに自然と沸き起こる繊細な声)に耳を傾けるようにしている。
『根本原因がわかった上で、その全てをしっかり見つめて受け入れる。
常に“今この瞬間に(自分の内外で)起きていること”に意識を向け、「内側から沸き起こる感覚」に耳を傾けて過ごす』
こうすることで、無理矢理抑え込まれてきた「感覚」が少しずつ解放されると同時に、
私を塞いでいたもの(=刷り込み)からも解放されることに繋がるような感じがしています。
そうすると、不思議とピュアな目線で物事をみることができるようになる。
結果として、感情がコントロールできたり、コントロールするという以前に、その行為(2歳の息子が、思うようにカートを動かせなくて床に寝そべって泣くこと)自体、人の迷惑にさえなっていなければ問題はなく、恥ずかしいことでも、他人の目を気にすることでも、イライラすることでもなくなる。
(他人の目を気にするのは、また違う原因も絡み合っているのですが…)
その時、ちょうど私たちの横を通りすぎようとした80歳くらいのおばあさんが、ニコニコしながら息子に向かって言った。
「あんた、それが出来てえらいなぁ。」
(↑息子に言ったんですよ。)
私は、そのおばあさんが言った予想外の言葉の意味を確かめたくて、おばあさんを追いかけ、
「さっきの一言はどういう意味だったのですか?」と尋ねてみた。
するとおばあさんは、
「子供が自分の感じていることを素直に表現できるということは素晴らしいこと。
それを押さえつけず、この感覚を大切にしてあげることが、その子の将来(思春期や大人になってから)を良いものにするんだよ。」と。
おばあさんの言葉は、その日の買い物を良いものにしてくれた。
「子供の感覚(感じること)」を大切にしはじめると、
あれこれとアドバイスしたり、子供のすることに対して先回りしないようになる。
そして、こちらから一方的に教えることって以外と少ないことに気づく。
逆に子供の純粋な感覚に触れ、そこから学ぶことの方が多かったりする。
子供の自ら気づきをそっと見守り、サポートするのが、親の大切な役目。
そう感じる今日この頃です…
