自閉症スペクトラム症とは、ASDとも呼ばれ、対人関係やコミュニケーションが苦手、特定の物や行動にこだわりがあるなどの特徴を持つ発達障害である。
注意欠陥多動性障害とはADHDとも呼ばれ、不注意、多動性、衝動性という3つの特徴を持つ発達障害である。
恐らく、と私は思う。この2つの症状が併発していたことが障害の表面化を分かりにくくし、発見が遅れたのではないかと。
実際に私は自閉症の症状がかなり重い人と比較すれば、言葉の文脈や人の気持ちは分かった方だと思う。
半端に人の気持ちが分かったことが私の日常生活における困難の発見を遅らせたのだ。
しかし、この2つの症状に関しては私にも心当たりがある点がいくつかあった。
自閉症スペクトラム障害に関しては、思い返せば小学校の時から予兆はあった。
対人関係やコミュニケーションが苦手で、トラブルが絶えなかった。
卒業式で同じクラスの子に「あの時のこと、まだ許してないからね」と言われたことは今でも印象に残っている。
まあ今考えれば私の方が悪いわけだし、大人の目から見ればほんの些細なことなのだが。
また、当時の私には好きか嫌いかという概念しかなかった。
一般的な人は、「この人は少しこういうところもあるけど良いところもあるよね」、「この人は基本的には良い人だけどカッコいう短所もあるよね」など、50%や75%など中間の判断基準を持ち合わせて物事を判断している。
しかし、その時の私は、「好き」か「嫌いか」しか判断基準がなかった。
したがって、必然的に自分が「嫌い」と判断した人の長所を、見ようともしなかった。
これは後になって反省していることである。
まあ、今でも思考が極端なところはあるのだが笑
そして、特定の物や行動に拘りを持つ。これにも心当たりがある。
ルーティンワークと呼ばれるように、毎日1日の中で決まった行動をすることが好きだった。
変化を嫌い、急な予定変更に弱い。これは今でもそうである。
興味の対象が限定され、それ以外のことは目に入らない。
次に、物への拘りに関して言えば、私の場合は言葉に対する拘りが強かった。
このブログをお読みになってくださっている方であれば、私の表現や言い回しが独自であることは分かるだろう。
それはそれで良いのだ。他人を傷つけなければ言語表現は自由なのだから。
しかし、私の言葉に対する拘りは自分独自の言葉だけに留まらず一般的に使われている言葉、流行っている言葉に対しても疑問を抱かせる。