私が特に好きではない言葉に以下のようなものがある。
「陰キャ」「陽キャ」、「有能」「無能」。
これらは私があまり好きではない言葉の代表格である。
なぜ好きではないかということを以下に説明しよう。
「陰キャ」とは「陰気なキャラクター」、「陽キャ」は「性格が明るく、人づきあいが得意で活発な人」という意味合いがあるそうだが、性格が暗いにしても明るいにしても「どのように暗いのか」「どのように明るいのか」というのが一切分からないからだ。
極端な例を出せば、「大人しくても明るい」「表向きは明るく振舞っていても本来の性格はネガティブ」という人もいるかもしれないではないか。
また、一人の個人には色々な側面があって、そんなに簡単に二分できるものではない。
私だって良いことをしたこともあれば、悪いことをしたこともある。
人に対して嫉妬や憎悪を抱いたこともある。
すなわち、私たちが他人を見ている瞬間というのはその人の生活の一部を切り取ったものであり、その人間のほんの一部の側面でしかないのだ。
だから、私はネットスラングのような極端に人を二分する言葉、あるいは特定の人を侮辱・差別するような類な言葉は好きではない。
「有能」、「無能」という言葉も同じである。
「有能」とは「才能・能力があること」、「無能」とは「能力・才能がないこと」だそうだが、能力の有無と人間性の良さは必ずしもイコールではないのだ。
そもそも、「有能」「無能」という価値判断の基準は、その人間の価値を才能の有無で決めることを前提としている。
「勉強ができる、できない」、「運動ができる、できない」、「仕事ができる、できない」などなど能力主義が差別や偏見を生んでいる原因とすら私には思える。
話が多少脱線してしまったが、以上が私がこれらの言葉があまり好きではない理由である。
長々と説明してしまったが、恐らくこのような考え方が、私にとっての「特定の物に対する拘り」と言えるのだろう。
これらの言葉を使っていても、全くストレスに感じない人もいるわけだから。
自閉症スペクトラム障害は良くも悪くも同じ行動を繰り返す傾向にある。
私の場合もそうで、良い習慣もずっと続く半面悪い習慣もずっと続いている。
この障害には有効な薬もあまりなく、周囲もどう配慮したらよいのか難しいのだと感じる。
コミュニケーションの壁は身体障碍とは違い、目には見えないのだから。