今日はとても寒い。年齢を重ねるにつれて、冷たい風が肌に染みる。
寒いのは得意ではない。さて、大学に現役で進学できることが確定した私は、学校の写真を撮った。季節は春なので、桜やタンポポなどが満開に咲いていた。
自然の中の生き物は凄い。堂々と、誇りをもって道端や自然の中に咲いている。
私が希死念慮に度々悩まされているのがとても小さなことだとでも言うように、植物は生きる希望を捨てていない。
さて、大学に入学してからすぐのことなのだが、私は学校側に合理的配慮を申請した。
「合理的配慮」という言葉をご存じだろうか。
合理的配慮とは、「障害のある人が社会生活を送る上で支障となっている問題を改善・調整するための措置」のことである。
障害のある人とそうでない人が平等に機会や待遇を確保することを目的とするものだ。
具体的な例としては、障害の特性に応じた休憩時間の調整、筆談や読み上げ、手話などによるコミュニケーション、試験の適切な変更や調整などが挙げられる。
しかし、私に対する合理的配慮にはいくつかの問題が介在した。
まず第一に、大学は義務教育ではないということだ。その前段階の高校も義務教育ではないかという突っ込みが入りそうだが、高校は行く人の方が圧倒的に多いため、何だかんだ助けてもらえる部分もあるのだ。
しかし、大学は完全に義務教育の世界とは別物である。
よって、合理的配慮を施すのは難しいという丁寧な返信を頂いた。
また、私の持つ障害は注意欠陥多動性障害と自閉症スペクトラム障害であり、配慮がしにくいという問題もある。身体障碍のような目に見えるような障害なら対応も分かりやすいが、精神疾患や発達障害のような類になると対応の仕方は難しい。そもそもどこまでが性格でどこまでが障害なのかという線引きそのものも難しいのだ。
それに、私ができないことが増えれば増えるほど周りの人の負担が増えていってしまうという事情もある。周りに配慮してもらう代わりに、何か別のものを私が周りに与えるというようなギブアンドテイクの関係性ができあがればそれが一番の理想だが、そもそもコミュニケーション能力が欠如している私にそこまでのものを他人に与えることは難しい。
よって、私は最初、このことを公表せずに普通の人として生きることを一時的に決意した。
私の自閉症スペクトラム障害がそこまで重くないことは幸いだった。
注意欠陥多動性障害と混同しているため、自閉症スペクトラム障害単体の人よりは症状が少しだけ緩和されているのだ。