日本人の幸福度は、世界的に見て低い水準にあることが度々報告されている。

 

その理由を私なりに考察してみる。

 

私が思うに、原因の一端は現代の学校教育のシステムにある。

 

現代の教育システムは、均一的な能力を万人に与えることを目標としている。

 

それは確かに能力の平均値を底上げするには最も効率的な手法だ。

 

しかしながら、ここに現代の諸課題も介在する。

 

すなわち、変わり者や個性派といった、大多数とは違う者は、周りに合わせて平均的な能力を身に付けることを強要されるようになる。

 

例えば、勉強は全くできず絵が突出して上手い子がいた場合、大人たちは絵より勉強を優先させようとするというように。

 

まさに、これこそが日本人に不幸の概念を植え付けている正体である。

 

小学校の初等教育では、人は皆平等だという社会主義的な概念を植え付けられる。

 

しかし、中学生くらいになれば、大半の人は社会は平等でも公平でもないことに気づくことになる。

 

そこで、周りの人と自分を比較しだす。

 

「あいつは勉強ができるけど、自分は頭が悪い」、「あいつは運動ができるが俺にはスポーツの才能がない」、「あの子は可愛いけど、私はブスだ」というように。

 

けれども、本来、人の命の勝ちというのは、才能や能力の差によって左右されない普遍的なものである筈だ。

 

「仕事ができないから、自分はダメだ」、「勉強が苦手だからうちの子はダメだ。」

 

これらの思想は、私に言わせればアホでしかない。

 

更に踏み込んでいえば、仕事ができなくても勉強ができなくても人間関係が上手くいかなくても落ち込む必要はさらさらない。

 

また、他人と自分を比較する必要もない。

 

前述したように「あいつは〇〇だけど自分は〇〇だ」という思想は、自分自身を不快な気持ちにするだけでなく、完全なる時間のムダだ。

 

そんなくだらないことを考えている暇があるなら、他のことに費やした方がはるかに効率的だ。

 

日本人は周りと比較しすぎ、能力を自分の勝ちと結びつける傾向が強いのだと思う。

 

ここに、まさに幸せになるヒントが隠されているのではあるまいか。

 

仕事ができない、勉強できない、容姿が良くない、貧乏だ...

 

だからといって、その人自身の価値が下がるわけではないのである。

 

比較する悪習をなくすだけで幸福度は上がる。

 

そして、一番最悪なのは、勝手に誰かと比較してくる奴らだ。

 

「あなたはこうだけど、〇〇はこうだ。」、こういうセリフを日常的に口にする輩は、はっきり言って害悪でしかない。

 

そんなに他人と比較したいなら、どうぞご自分は一生他人と比較して苦しみながら生きていってほしいものだ。

 

話が少し逸れてしまっったが、上記が私が日本人の幸福度が低いと思う理由である。

 

逆に言えば、能力や才能と自分の価値を結びつけないだけで幸福度は上がるわけだ。

 

多くの人が、幸せになることを、私は祈っている。