ソース記事:AP timeline details Michael Jackson's last dayAP通信による、マイケルが亡くなった日の出来事を時間を追ってまとめている記事です。前置きは省略して、時系列部分のみを訳しました。他にも若干省いています。全文は上記ソースで読む事が出来ます。その時マイケルと一緒に居たのは彼を眠らせるために数種の薬物を投与した専属医のコンラッド・マーレイ医師だけだったので、実際に何が起こったのか知るのは不可能かも知れない。マーレイは今年、ジャクソン氏の過失致死容疑で裁判にかけられる。
しかし目撃者証言と裁判書文書によると:ジャクソン氏の最後の1日はいつも通りに始まっていた。
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6月24日水曜日の午後早く、マイケル・ジャクソンは借りていた邸宅の階下に降りて来ると子供達と最後の食事の席に着いていた。
彼はその夜にリハーサルを控えていたので、お腹にたまるけれど軽い何かを食べたかったのだ。彼の専属シェフのカイ・チェイスは有機野菜のサラダを添えたマグロのたたきと、人参とオレンジのジュースを用意していた。
「彼は微笑んでお祈りを捧げる為に手を合わせました。」チェイスは語る。「彼は、"ありがとう。神の御加護を。"と言ったんです。」
彼はは元気そうに見えたし、エネルギッシュで機嫌も良かったとチェイスは振り返った。
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水曜の午後7時少し前、ジャクソン氏はベルエアとビバリーヒルズの間の高級住宅地、ホルミーヒルズのキャロルウッド・ドライブ100番地にある8つの寝室を持つ彼の邸宅を出発した。
彼はボディーガード、ファヒーン・ムハンマドが運転する紺色のエスカレードの後部座席に乗り込んだ。彼の専属アシスタントのマイケル・アミール・ウィリアムズは助手席に座った。
彼らは、ジャクソン氏と彼のミュージシャンのチームとダンサー達がロンドンに向かう前の最後のリハーサル会場であるダウンタウンにあるステイプルズセンターに出向いた。ジャクソン氏のロジスティクス・ダイレクターを務めるアルベルト・アルバレスがエスカレードを出迎えて、ジャクソン氏をゴルフカートに乗せて控え室に連れて行った。
数人がその夜のジャクソン氏の体調は良好だったと回想している。
「彼は完全に熱中していたよ。」 "This Is It" 公演に出演予定だったジャクソン氏の長年のヴォーカル・ディレクター兼バックシンガーのドリアン・ホーリーが語った。「いつも通りエネルギッシュで体調も数日前と特に変わらないように見えたし。」
ジャクソン氏は"Wanna Be Startin' Somethin'" 、 "Billie Jean," 、 "Smooth Criminal," そして "She's Out of My Life."など往年のナンバーをリハーサルした。
ステージに巨大なモニターを搬入し、ジャクソン氏は初めてこれらの曲を映像付きで歌う姿を見せた:とリハーサル中ジャクソン氏の傍らに立っていたドリアンが語った。
「目が飛び出すかと思ったよ。彼は嬉しそうに笑っていた(口が裂けるほど)。」
リハーサル映像を撮影した2人のカメラマンの1人であり、それらを編集し "This Is It" を創り上げるのを手伝ったティム・パターソンによると、ジャクソン氏は"Thriller" で水晶の玉が観客の上を浮遊する3Dの部分で特に心を奪われていたという。
Tim Patterson, one of two cameramen who shot footage of the rehearsals
「マイケルが手を伸ばして掴もうとしていたのを覚えてる。気に入っていたよ。」パターソンが語った。
その夜遅く、ジャクソン氏とダンサー達は初めてフルで衣装を身に付けステージで"Thriller" をパフォーマンスした。
「彼が全てを気に入ってくれたのは顔を見れば明らかだったよ。」ジャクソン氏がショーの為に選んだダンサーの1人、クリス・グラントは語った。
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グラミーの制作責任者、ケン・アーリッチがジャクソン氏とハロウィーン・スペシャルについて話すためにステイプルズ・センターに行った。後ほど、アーリッチはリハーサルが続けられているのをスタジアム・フロアーから目撃している。
「本当に体調が良さそうだった。ツアーを楽しみにしていたしリハーサルを楽しんでいたね。」アーリッチが語った。「疲れている様子も見せていなかったし、乗り気じゃない様には見えなかったよ。」
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リハーサルは水曜夜の午前0時頃に "Earth Song"のパフォーマンスを行って 終了した。マイケルはダンサー達とハグをしてスタッフに礼を言い、彼らにおやすみの挨拶をした。「神のご加護を」パターソンとグラントは彼がそう言っていたと回想した。
ジャクソン氏はキャロルウッド・ドライブに戻り、家の外に集まっていた数人のファンのグループに挨拶するために、門の前でつかの間足を止めた。
敷地内に車が入った時に、ボディーガードのムハンマドはマーレイ医師の車がいつも通り家の外に止まっている事に気付いた。
ジャクソン氏の警備担当者が彼を家の中の階段の下まで連れて行った。マーレイと、ジャクソン氏の子供達以外は階上に上がる事を許されていなかった。
ジャクソン氏は帰宅すると間もなく、疲れているので睡眠が必要だと訴え始めた。
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警察の供述書によると、マーレイはジャクソン氏が(通常は特別な設備のある医療現場でのみ使用される強力な麻酔薬である)プロポフォル中毒に陥っていると懸念していたという。マーレイはジャクソン氏にプロポフォルを断たせる為に、2晩投与するのを止めていたと警察に語っている。
6月25日木曜日午前1時30分頃マーレイはジャクソン氏に10mgのヴァリウム錠を投与した。この向不安薬が30分経っても効き目を現さなかったので、医師はヴァリウムと同様の効果を持つ2mgのロラゼパムを生理食塩水の点滴に混ぜて投与した。
ジャクソン氏は依然として眠れなかったので、マーレイは2mgのミダゾラム(鎮静剤)を3時に投与、そして5時にはもう2mgのロラゼパムを投与した。
7時半になってもジャクソン氏は起きたままだった。マーレイはこの時さらに2mgのミダゾラムをジャクソン氏の点滴に注入したと警察に話している。
しかしジャクソン氏はまだ眠れなかった。
彼は彫刻の施されたルネッサンス調のダブルベッドのシーツの上で安らぐ事なく横たわっていた。数本の酸素ボンベがドアの側にあり、その夜ベッドサイドのスタンドには子供向けの映画を含むDVDが積み上げられていた。
警察当局によると、ジャクソン氏の室内は初夏のロサンゼルスだというのに暖房で暖められていたという。
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マーレイによると、眠れない夜の後、午前10時40分頃ジャクソン氏が再度プロポフォルの投与を要望したという。ジャクソン氏の要望に応えて25mgのプロポフォルを彼の点滴に注入したとマーレイが木曜に語っている。
6月27日に警察が行ったマーレイの事情聴取から事件の流れが導き出されているが、マーレイの弁護士、エド・シャーノフは捜査官の解釈によるものだとして異議を唱えている。シャーノフはこの件についてのコメントを拒否している。
マーレイは、ジャクソン氏が鎮静状態になって10分ほど経った頃バスルームに行くために席を外した。2分も経たずにマーレイは部屋に戻り、ジャクソン氏が息をしていない事に気付いたと供述で回想している
通話記録によると、マーレイが11時18分から11時51分の間に少なくとも3回電話をかけている事が分かる。相手は彼のラスベガスのクリニック、患者、そして友人である。
AP通信が入手した供述書によると、ジャクソン氏が息をしていない事にマーレイが気付いた12時13分、彼はジャクソン氏のアシスタントのウィリアムズに電話をかけ「すぐに電話をくれ、すぐに電話して」というメッセージを残したとされている。ウィリアムズがかけ直すと、マーレイは「直ぐに来てくれ、ジャクソン氏の様子がおかしい、様子がおかしいんだ。」と言ったという。
ウィリアムズがムハンマドに電話をし、そして家の外の警備員室に居たアルバレスにも電話をかけた。アルバレスは、2階に駆け上がり寝室に入るとジャクソン氏が手足を大の字に伸ばしてベッドに横たわっており、目と口は開いていたと捜査員に語っている。
彼の傍らでは、マーレイが片手で心肺蘇生措置を施していた。
供述によると、「アルベルト、アルベルト、早く来て。今反応があった、反応があったぞ」とマーレイが言ったという。
AEGとの契約案で、マーレイはジャクソン氏を看る条件として心臓蘇生装置と看護士を要求していた。しかし彼が亡くなった時、そのどちらも備わっていなかった。
ジャクソン氏の子供の2人、プリンスとパリスが部屋に入ってきて、マーレイが彼らの父親の救命措置をとる様子を見て泣き出した。彼らすぐさま部屋の外に連れ出された。
アルバレスは、マーレイがゴム蓋の付いた薬の小瓶を拾って袋に入れる様マーレイに頼まれたと捜査員に語っている。マーレイがアルバレスに救急車を呼ぶ様指示したのはこれらの小瓶が片付いた後、ようやくの事だった。
「出来るだけ早く救急車を寄越して下さい」アルバレスは通信指令部員に告げた。「ある男性を助けて欲しいんです。息をしていません。」
彼らがジャクソン氏を床に寝かせると、ムハンマドが部屋に駆け込んできて、マーレイが人工呼吸を行う間、彼は心臓マッサージを手伝った。
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木曜午後12時27分、救急隊が到着した。彼らは後に、12時29分の時点でジャクソン氏は呼吸をしておらず、脈拍も無かったと書き記している。
しかし、ジャクソン氏の大腿部にかすかな脈を感じたとマーレイが述べたとアルバレスとムハンマドは語った。マーレイ以外、誰も脈を感じてはいなかった。
ある救命士の報告によると、2度の救命措置を試み既に処置を終える段階に来ていたが、マーレイは自分が責任を持つから救急車の中でも蘇生措置を続けると言い張った
午後1時07分、ジャクソン氏の血液を循環させるために風船ポンプを体内に挿入するなど、マーレイが様々な蘇生技術を行使していた時、ジャクソン氏は近くのUCLA病院に到着した。
午後2時26分、ジャクソン氏の死亡が宣言された。
死亡が宣告されると、マーレイが泣き出したとウィリアムズは捜査員に語った。
彼はジャクソン氏の子供達に彼らの父親が亡くなったことを告げ、自宅に戻りたいと頼んだ。
「家に帰っても良いかな、もしくは連れて帰って欲しいんだけど。」医師はそう言ったとアルバレスは供述している。
「車を取りに行きたいし、お腹も空いているんだ。」ウィリアムズは、マーレイが帰宅するというのは良い考えでは無いと思ったと語った。彼はムハンマドと相談して、警察が車の鍵を全部持って行ってしまったという事にした。
マーレイはタクシーを使おうとしている様だった。ウィリアムズは
マーレイが通用口から出て病院を後にするのを見たと語った。
ウィリアムズは、家に居る警備員に電話をかけ誰も家に入れない様にして欲しいとムハンマドに告げた。
ウィリアムズは言った「封鎖しろ」。