groovy cat blog

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初海外で初転職・初移住 そして 失敗
インドネシアの情報と日常をのせて、今は留学生として感じたことを率直に書いてます。

Amebaでブログを始めよう!
タイトルにも書いてありますが宗教の勧誘でありません

引き続き、今Malangでは断食の真っただ中です。
インドネシアと言えば世界最大のイスラム国家です。人口の約九割がイスラム教です。
そんな国での断食月だからこそ、この月はイスラム教の存在を強く感じれます。
朝の礼拝から始まり日の出から日没まで飲食・タバコ・唾を飲むことさえ禁止です。
さらに、夜は夫婦の営みさえ禁止です。
街中では店のほとんどが閉まり、他の宗教とはイスラム教徒に気を使います。


イスラム教の事をどれくらい知っていますか?
と、私が聞かれたら豚は食べない・左手は使わない・なんか頭に被り物してる くらいですISIS


前回のスラバヤの時は全くインドネシア・その中で最大人口を誇るイスラム教についてあまり知りませんでした。

なので、今回はコーランを読みインドネシアのイスラム教を自分なりに感じてみたいと思いました。

まず、イスラムとはイスラム教を指します。アッラーを唯一の神とし、神に帰依するする為の一神教です。
次に、Muslim (ムスリム)頭文字が大文字も場合はイスラム教徒の事です。
   muslim (ムスリム)頭文字が小文字なら帰依・帰属するという意味になります。

食べ物では豚は食べませんし、牙がある動物も食べません。理由は穢れているからです。豚は砂漠では腐敗が早かったから、牙に関しては他の動物と争いを起こし血で穢れているかもしれませんからです。 簡潔に穢れた物は口にしません。

飲み物はお酒がダメです。 お酒は酔うからですね。もし酔っていたら一日五回の礼拝を忘れてしまいますし、正しい行いや判断が出来ないからです。

服装は慎ましやかな服装がベター。 ヒジャーブなどの被り物は中東地域でのなごりでコーランには書いていません。 ムハンマドが家でお客に会う為の蚊帳のような布で妻たちとお客を仕切ったのが始まりだと言われてます。

女性の扱いですが、今の中東の様な状況ではなくムハンマドの妻たちはラクダに乗って被り物をせずに外に出かけていました、もちろん他の女性もそうです。

聖戦ですが、本来は専守防衛です。確かに、異教徒を見つけ次第殺せ っと書かれていますが  本来はさっき書いた通りで、ムハンマドの時代では専守防衛が必要だったのです。
なにより、男性を女性は平等の生き物が前提です。キリスト教では少し違いますが。

書いていくときりがありませんので、今の報道などで気になった事を書きました。

そして、僕自身は仏教の真言宗です。イスラム教ではありません。


インドネシアのイスラム教はアラブ諸国や中央アジアのとは少し違います。
なぜなら、土着の島ごとの文化が混じり合って出来ています。なので、彼らは宗教をその土地の習慣をどちらも使います。
結婚式なら、ジャワの伝統衣装に身を包み肌の露出が大幅にある服で行いジャワのしきたりに従います、その後でイスラム教の儀式を行うような感じです。他のイスラム国よりはるかに多い数の女性が働いています。
それに Islam abangan 口だけのイスラム教。インドネシアでは自分のSIMカード(身分証)に宗教を必ず書かないといけませんから。
Kejawer こちらはジャワの宗教です。土着の習わしなどが田舎などではまだまだ残っています。


それに周りの学生や一般の人に聞いてもコーランの内容をあまり話せません。


こんなにイスラム教が多く世界が急速につながってる時代なので一度くらいはイスラム教の事を勉強してみるのも面白いと思います。
相変わらず何事も続かない自分ですが、ようやく更新していきます。

インドネシアにて二度目の断食月を経験しています。前回はスラバヤ、今回はマランでの断食月。
あまり違いはありません。お酒が飲める店はお酒を販売中止にしたり、街中の飲食店(大・小問わず)は閉めている店が多いですが食べるのに困るほどではありません。
しかし、実はお酒が飲める店、販売しているお店があったりします。

ジャカルタでは州知事のがお酒の規制緩和 コンビニでも買えるようにしたり。
その一方で、ニュースにもなりましたがスマトラ島では昼間に営業している店を強制的に取り締まったりと地方ごとで温度差があります。 マランもゆるくはありませんが、厳しすぎる事もない丁度いい感じですね。

マランでの断食月でも、もちろんイスラム教の方は日の出から日没まで一切の飲み食いを禁じているので、気を使いはしますが前回のスラバヤよりギスギスしていないと感じます。

前回のブログで書いていましたスラバヤでの失敗ですが、自分にとっては良い経験です。

私が学んだ事は、どこまでインドネシア人を現地スタッフを育てる事が出来るかが必要だと痛感しました。

スラバヤでラーメン屋を引き続きやっていた中華系のオーナーですが、先月の末に遂にラーメン屋をたたみました。売り上げが厳しいようでしたので予想はしていましたが少し早いですね。

私は働いていた時に三名のインドネシア人を自分の直属の部下として育てていて、日本に帰ってからも連絡を取り合い、また留学生と帰って来ている今でも関係は良好に繋がっています。
そんな彼らから逐一情報をもらっていました。

インドネシア人と言っても一言では括ることはできないくらい多様性に富み、種族だけでも300は越え言語も考え方も多種多様です。スラバヤとマランは東ジャワで大きな町の筆頭ですが、ここでさえ言語がかなり違います。
ある日本のテレビ番組では、インドネシア人は世界で一番怒らない人種だと放送されていました。
確かに朗らかで、タイに負けないくらいの笑顔が多い国だと感じます。

しかし、インドネシア。私の場合はジャワ人がメインですが、彼らは怒らないのではありません。闇が深いのだと感じています。植民地からの独立、独立以降の幾度とない汚職、規制、国の方向転換。独立して70年余り経ちますが、その中で変わり続けるこの国では国民が疲れているように感じます。

そんな歴史を大学の先生の研究や話から納得してしまいました。
急速な発展を遂げていて、若者が多く未来はけっして暗いものではないはずなのに、疲れを感じさせる雰囲気。そんな中での断食月。私は、どこか真ん中に立って彼らの光と闇に触れている今のインドネシアでの二回目の断食月が少し楽しくなっています。
三年ぶりの更新

三年前、インドネシアはスラバヤでラーメンを開業しました。
それを機にこのブログも始めました。しかし、、、


結果は
失敗しました

中国人とも日本人ともコテンパンに揉めるだけ揉めて、僕は日本に帰る結果になりました。
中国人はスラバヤでまだラーメンやってます。

あの時、24歳にも関わらずお金の怖さをあまり真剣に考えてませんでした。

今思えば、いい経験したと感じる

けど、あの当時はほんとに生きた心地はしなかったですね。

日本に帰国して一年半くらいで、僕は再びインドネシアに帰ってきました

書けなかった、昔の失敗談と今回は留学生としてのこれからを書いていこうと思います。


昔の記事を自分で読むと、これから!!って感じやったんやな~
と感じます笑


また、書いていきます。
過去を振り返れるように残していきたいですし!


ありがとうございます。