こういうことなんです、あのスピーカー | 物質の下僕

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語りえぬものには、沈黙しなければならない












let me have my enemies butchered


ウーファー
Macユーザーにだいぶ売れましたねぇ。iMacがでたころでしたっけ。WindowsのPCでこれが似合うPCはなかったですから当然といえば当然。
うろ覚えですが、最初のモデルは接続方法が特殊で(USB接続のみ?)で事実上Mac専用でしたが今出ているモデルは3.5ミニプラグで汎用性が上がっているはずです。
PCで音楽を聴くことを誰も本気にしていなかった時代には衝撃的でした。私も一時期欲しいと思ったのですが、実物を見たら躊躇せざるをえませんでした。ディスプレイが液晶になる前のこと、同じような大きさのものを置くスペースはなかったのです。もちろんサブウーファーは机の下などに設置しても音響的には悪いことはなくむしろそうした設置方法をサブウーファー一般には推奨されてもいたのですが、、、これを買ったら見えるところにおきたいでしょう(笑)。
さすがの私も17インチCRT2台(!)とこれを並べる勇気はありませんでした。っていうかそんな机じゃ仕事できないでしょう(笑)。

以後、PCのオーディオ、ヴィジュアル機器化は著しいものがあり、今やTVもDVDもCDそして当然ダウンロードしたソースもみなPCで再生されるという事態になっているのです。ですが、ここで指摘しておきたいのは、PCがどんなに万能であっても、いや万能であるがゆえに、それはラジカセの子孫であって、かつてのピュアオーディオ(最早死語)とは別次元、音がいいとか悪いとか論ずることすら笑止というレベルであるということです。

ウォークマンがこの世に出現した時には”音楽を外へ持ち運べる”という新しいライフスタイルに驚きはしたものの、決してその音質に驚いたわけではなかったのです。特に当時まだ生きていたオーディオマニアは。しかし時は流れて、人の生活はますますせわしなくなり、住宅事情も高密度の一途をたどるうちに、音楽を屋根の下でゆっくり聴く習慣は消滅していったのです。結果、当節のデジタル音楽プレイヤーへと続くのですが、PCとミニコンポに受け継がれたスピーカーはその出自がいわゆるオーディオではなくラジカセにあると私は見ています。ですからかつてのオーディオブーム的感覚から音の良し悪しを論じたらいい音なんてひとつもなくなってしまうのです。これはおそらくあのオーディオブームの時代を経験した者にしか感じられないと思います。説明不能です。

かく申す私も最近はずっとMP3プレイヤーとPCで音楽を聴いています。ところが、ごく最近、友人からあるCD(これが色々な事情でなかなか手に入らない)を借りて家に持ってかえって、DVDプレイヤーにかけて聞いたのです。このプレイヤーは昔ながらのアンプといわゆるオーディオ用のスピーカーにつながっているのです。いや~、こんなに音が違っていたとは。なんか他の事しながらとか片手間にとかじゃなくて、すっかり音楽に聞き入っていましたよ、いつの間にか。もちろん演奏もよかったんですが、これをMP3プレーヤーで聞きながら歩いていたら思わず立ち止まってしまった、、、なんてことはありえないじゃないですか。そういうことなんです。
実は自宅のオーディオシステムは半分死にかかっているんです。数年前にアンプが壊れて今使っているのはかなりグレードの落ちるサブの機械なんです。それでもこれだけ異次元の音なんですから、慣れとは恐ろしいものです。まあ、これからもMP3オーディオやPCは必然的に私の音楽の中心でしょうが、時々原点を思い出さなきゃだめですね。