Dr.Strangelove | 物質の下僕

物質の下僕

語りえぬものには、沈黙しなければならない












let me have my enemies butchered

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
博士の異常な愛情
ピーター・セラーズつながりで。

この邦題はずっと気にかかっています。 気に入らない。 だって、Dr.Strangeloveは登場人物の名前なのに。 省略してないタイトル(Amazonで参照してください)もおかげで意味不明です。

これもまたTVの深夜枠で見ました。 キューブリックだと知ったのはあとになってから。 その時は驚きました。

ピーター・セラーズが3役で出ているのにも驚き。

映画に限らず冷戦当時の作品に触れると、私たち日本人が核の傘の下、いかにのほほんと、経済活動にはげんでいたか、そして当事者であるアメリカの緊迫感にはまったく思いもよらなかったか、ということを考えずにはいられません。

今、お隣の半島で何やら蠢いていて、日本もちょっと騒いでいますが、当時のアメリカにとっての脅威は比べ物にならないほど大きくて、現実味があったんでしょう。 そういう中で、こんな作品を作り、しかもそれを許容してしまうんですから、すごい国です。 アメリカの悪口ばかりいっているそこの人たち、今の日本で核をテーマにこんなにしゃれた作品を作れますか? 作ることを許容できますか?

閣僚の一部が、核武装について何か言えば、あっちでもこっちでもギャーギャーと喧しい。 下品ですな。

この作品にあふれるブラックなユーモアのすばらしさといったら、さすがキューブリックはイギリス人です。 同じ島国でも鍛えられかたが違うのですね。 日本人にだって過去を見れば才能がなかったわけではないんですが、きちんと伝統を継承できていないんです。

そうそう、伝統といえば、すぐに武士道とくる。 この見識の狭さにも辟易する。 単なる殺人集団であった武士が「道」を語れるようになったのはたかだか数百年前のこと。 日本の文化的伝統は千数百年も前から立派に存在している。 その文化は実に豊かで、物心両面にわたり様々なものを生み出してきた。 それに比べれば、武士道は日本人の血中を流れる赤血球いくつか分にしかならないのである。

発端は、明治期に必要にかられてしかたのないことだったのだが、脱亜入欧とばかりに日本及びアジアの伝統文化をバッサリ切り捨て、都合のよいところだけをつまみ食いしてきたことにある。 いわばその副作用が今や猛烈な形で現れて、日本人のアイデンティティを脅かしているわけである。

だから、今日本の文化を声高に叫ぶ人は、せいぜい江戸時代かそのちょっと前、武家政権の誕生期くらいまでしか、遡れないから、相変わらず自国の文化をつまみ食いして、「武士道、武士道」とばかりいいつのるのである。

これでは、アメリカの歴史のないことを笑えないではないか。 アメリカは逆立ちしようが何しようが、これっきりしか歴史がないのだから新しいものを生み出していくしかない。 いくしかない、と国民みながわかっている分ましである。 今や自国文化を語る日本人は皆ただの知ったかぶりである。 

かつでアイダホの田舎で、「アメリカの製品にはこんなすばらしいものがある。」と言って、ソニー製のラジオを自慢して見せた農夫を笑えるものがどれほどいるのか。