広島とゴーストライター | ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

テロワールにより造り手により 変幻の妙を見せるピノ・ノワールの神秘を探る

日々忙しいし体力も落ちてきたし、本業以外の仕事はできるだけ減らそう、
肩書は捨てていこう、と心がけてからはや3年になるが、着々とその方向に進んでいる。
しかし講演の依頼はちょこちょことあるので、先週末には広島に出かけたし、
明日には岐阜に出かける予定がある。

先週の広島の講演では、前日まで仕事後にコツコツと集計した症例の詳細を紹介したが
当然とはいえ、ひねりがなさ過ぎて笑いが取れなかった。
しかし話を真剣に聴いていただけたので、広島人は真面目であることがよく分かった。

講演会の後、広島の臨床医会の先生方と2次会では話題が満載であった。
営業所長と担当者と野球の話で盛り上がり、結果的に大変充実した出張となった。

驚いたのは、広島の臨床医会会長がワイン好きで、わたしのブログをご存知であったことと、
座長の先生が近隣の内科の先生の義兄であったことであった。
地酒を飲みながらフーリエとルーミエについて、日付が変わるまで議論していた。

翌日の日曜日には、正午から日本の臨床医会の理事会が大阪で開催されるため、
さっさと午前の新幹線で帰阪した。

最近の日本の医会の理事会は非常に雰囲気が悪い。
その責はわたしが3バカ大将と呼んで憚らない幹部にあると思っているのだが、
まいどの元事務局長が4年前にケツをまくって会を辞めた理由が今になって分かる。

彼はやはり賢明であった。
もっと早く情報をくれればわたしもこんな苦労をせずに済んだのだけれども。

10年以上前わたしが理事になった際に、阪大の大先輩である
今は亡き初代の会長がわたしの前にやって来られて、
「先生、医会をよろしくお願い致します」と言われて深々と頭を下げられた。

若造の町医者に対して、普段おそれ多かった父親ほどの年である大阪市大名誉教授が、
こんな態度を取られたのにはさすがに驚愕したし恐縮した。

わたしなんぞに何ができるのだろうかと自問したが、
当時すでに癌が進行していて、自分の余命を知っておられた初代会長が、
子どものように思い入れがある臨床医会が、自分の亡き後も育って欲しいと
思ってのことだったのだろう。

以後数年以上かけて、わたしが学会で開業医のシンポジウムを作る努力をした結果、
学会との距離も近くなってきたから、わずかながら期待に応えられたのではと自負している。

わたしが理事としてお仕えした昭和大学名誉教授の2代目会長も、2年前に会長を引退された。
この先生も厚労省に人脈を持つ超大物だが、今年学会の医療賞を受賞されることになった。
実はこの賞の応募書類を作成して応募したのはわたしである。

昭和大学名誉教授の推薦状を大阪の町医者が書くのはいかにも変だが、
賞の存在を知って応募を思い立ったのはわたしのアイディアだ。
昭和大学の同門の先生から資料を頂き、理事のメンバーの賛同をとって短期間で準備をした。

昭和大学の現教授にも「出しまっせ、先生の文章をコピペして推薦状作りました」と
ついでの折にちゃんと言っておいたので、まあいいだろう。

これで2代目会長にも恩返しができたが、わたしはゴーストライター役に徹し、
学会にも連絡した上で、推薦状を会の代表者である3代目の現会長名で出した。
通常なら褒められる行為だが、会長に相談なく事後承諾で事を運んだので
現会長はきっと腹わたが煮えくり返っているだろう。

一昨年会長が3代目になって、早速大阪に対して失礼千万な失態を演じた。
仕事ができる人間なら、絶対にやらないであろう大チョンボである。
わたしは大阪代表の1人であるので、当然のこととして以後協力するのを止めた。

できる政治家だったら敵に回すべきではない人間が誰かくらい判断できて、
会議で結論を出す以前に根回しくらいやっておくだろう。
会社などの組織でも、結局はリーダーシップを取れる人が最重要なのであって、
不適格な人物が権限を握ると組織は崩壊する。
大会社でも医者の組織でも同じことだ。

こんな調子で、一昨年以来現会長に対して傲岸不遜・無礼千万な態度でいたら
ついに昨年面と向かってブチ切れられて、来季から理事を解任されることになった。

ここまですべてわたしのシナリオ通りで、1年半前からの計画が無事終了した。
自分から希望して降りていない、というのがミソなのである。

これでめでたく肩書がまた1つ減ることになった。
初代会長・2代目会長にはそれなりに貢献できたと思うので満足している。

感性に生きる純粋かつ純朴な人間を標榜しているつもりだが、
ひょっとしたらわたしは人が悪いのかも知れない。




佐村河内守(新垣隆) 交響曲第1番 HIROSHIMA
大友直人指揮 東京交響楽団

以前にも書いたが、2年くらい前ゴーストライターがテレビで会見して
ちょっとした騒ぎになった作曲家の作品である。

ジャケットにある下の写真では、もっともらしく佐村河内守が楽譜を書いているのが
写っているが、まともに楽譜が書けなかったというのを知ると笑うしかない。

クラシックのCDでは1万枚も売れたら大ヒットなのだが、
何とこのCDは18万枚も売れたという。

著作権の問題は置くとして、YouTubeでも今では同じ演奏を全曲は聴くことができないようだ。
YouTubeから違法にダウンロードしたり聴いたりして感想を述べるのは邪道だ
と言われれば反論の余地はない。

批評・批判するためにはCDを保持して聴くべきだと思い、ずっと入手の努力をしていた。
しかしゴーストライターがいるとばれて以来、新品は市場から消えていて
入手することはできない。

中古CDを探していたが、Amazonなどでは5000円以上で売っていたりする。
ワインと同じように足元を見る商売をやっている業者がいるようである。
このCDは680円で入手できた。我ながら賢い買い物だと思う。

改めて全曲通して聴いてみた。
18万枚も売れたのは、全聾の作曲家が原爆が落ちた直後の広島をイメージして書いた
という大衆受けする宣伝文句も大きかったと思う。
しかし、作品としてはまとまった体裁を成している。
百戦錬磨の(つもりの)わたしが聴くと、色んな作曲家のパロディが散りばめられれているのが
見えてしまうのだけれど、ほとんどの人は気づくまい。

第1楽章(20:03)冒頭がオネゲルみたいだが、けっこう真面目に抵抗なく聴ける。
第2楽章(34:37)はものすごく長い。流石に冗長で退屈だ。
いくら新垣隆が才人でも、マーラーなどを聴き馴染んでいる耳には才能の限界を感じる。
これは当たり前か。
第3楽章(26:55)これも長いが、退屈しない。
いかにも劇伴のような音楽で、新垣隆も自分で言っているように、
過去の作曲家のパロディ、よく言えばオマージュである。
大衆の受け狙いミエミエなのだが、そこがいいのだろう。
全体を通すと、言っては悪いが伊福部昭や三枝成彰の作品より格調はある。

最近CDが安くなっているので、色んな作曲家の交響曲を片っ端から購入し、聴いている。
珍しいところでは、ヴォーン・ウィリアムズ、ニールセン、ルーセル、スクリャービンなどが
挙げられるが、とても各曲を把握するところまで聴き込めない。

もっと若くにこれだけの音源を所持できていたらと心から思うので、
今の若い人が羨ましい。

最近ではシベリウスの7番が畢竟の名作であると信じるに至り、
近年の交響曲としては飛び抜けた作品だと思っているのだが、
ルーセルの3番、4番も大衆受けしないが緻密に書けた名作だと再認識している。

本人も分かっているだろうが、新垣隆の作品は、いくら18万枚売れたとしても
これらの作品とは次元が違う。

もめんの腕ものを知ると、それが基準になってしまって不幸になる、
というのと同じことである。