注文の多い合唱団・・だまにーしゃ第15回演奏会 | ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

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テロワールにより造り手により 変幻の妙を見せるピノ・ノワールの神秘を探る

大学の後輩連中が中心となって活躍している合唱団「だまにーしゃ」の
第15回演奏会が、3日前の日曜日、十三の日本バプテスト大阪親愛教会で開かれた。
定期演奏会は、一昨年12月以来である。
その際の記事はこちら


総勢10名のだまにーしゃの精鋭たち

プログラムは下記の通り

第1部 合唱 イギリス フォークソングとルネサンス世俗曲
1 スカボロフェアー   イギリス民謡
2 Now,0 now,I need must part(今こそ別れ) ジョン・ダウランド
3 Sweet Nymph(いとしい恋人よ)  トマス・モーリー
4 Fine knacks for ladies(珍品はいかが?ご婦人方) ジョン・ダウランド
5 ダニーボーイ(ロンドンデリー・エアー)  アイルランド民謡

第2部 ソプラノ独唱と器楽合奏
1 Paduana del re(王様のパヴァーヌ) 作者不詳
2 Quel squardo sd egnosetto(あの高慢な眼差し)  クラウディオ・モンテヴェルディ
3 Daphne(ダフネ) 作者不詳
4 G線上のアリア  J.S.バッハ

第3部 合唱 イタリア初期バロック
1 3つのモテット   E.ベルナベイ(1622~1687)
  Ad Dominum cum tribularer(苦悩して主に呼びかけた)
  Respice in me(主よ、私に目をとめ、哀れんでください)
  Dominus illuminatio mea(主は私の光であり、救いです)

2 モンテヴェルディ(1567~1643)作品集
  Si Ch'io vorrei morire(こうして死にたいものだ)
  Come dolce hoggi l'auretta(今日は何と優しくそよ風が)
  Ardo e scoprir(私は恋に燃えているが)
  Ah,dolente partite(ああ、つらい別れ)
  Lauda Jerusalem(エルサレム賛歌)

この合唱団のメンバーは、元々大学時代など合唱クラブ所属の面々であり、
聴衆にもOBの顔がちらほら見られる、といういつもながらの和やかな雰囲気であった。
今年もかぶりつきに座ろうと思って出かけたら、おまえが前にいると歌いにくいから
2階の特別席に行くように、と追いやられてしまった。

聴きに来るように誘っておきながら、行ったら後の方で大人しくしていろとは、
相変わらず注文の多い合唱団である。

この合唱団の団長は、自分の居住地である山田西をもじって合唱団名を「だまにーしゃ」と命名した
大学の1年後輩である。
そう言えば、ずっと昔に「ファガデル(ファが出る)」という器楽合奏団も作っていたが、
若いときからオヤジギャグが得意な男だった。

団員は、毎度のワインメンバーである大学教授や、元同僚で元酒乱の眼科の女医さん、
中高一貫校の女性数学教師、大学が同期の女性など、多士済々である。

この合唱団を率いるのは、プロの声楽家である月岡聖芳(つきおかせいか)さんで、
かの有名な古学専門のソプラノ、エマ・カークビーの弟子だそうである。
いつもは指揮姿を後から拝見するだけだったが、今日初めて美声を聴かせていただいた。

月岡さんも解説されていたが、全体のプログラムは、イギリスものあり、イタリアものあり、
といったかなり欲張った、統一感のないプログラムであった。

第1ステージは、イギリスマドリガルを中心とした軽快で無難な内容で、
曲の難易度も高くなさそうである。
リュートの伴奏のみで演奏された。

月岡さんと器楽合奏の第2ステージは、さすがにプロのお仕事であった。
リュートとチェンバロとヴィオラ・ダ・ガンバの伴奏で、ヴィヴラートのかからない
まっすぐなソプラノが、ことにモンテヴェルディのマドリガーレで輝いていた。
こんな美声の人が身近にいたら幸せだと思うが、普段のしゃべり声は、こてこての大阪弁である。

器楽のみで演奏された1曲目も、とても懐かしかった。
10代の後半頃、こういったルネサンスの器楽ものを聴くのに凝った時期があった。
やがてオケゲムやデュファイやジョスカンに出会って、この時代には声の作品に
名品がごろごろしている、というアタリマエのことに気付いてからは、
器学のみの作品には少し疎遠になっていったことを思い出す。

第3ステージ前半は、モンテヴェルディより約半世紀後のイタリアの作曲家、E.ベルナベイ
(1622~1687)の4声のモテット3曲であった。
聞いたこともない作曲家の、聴いたこともない作品である。
何とも単純で素朴な音楽で、3曲演奏されたが、どれもこれも個性がなくて退屈な作品であった。

以前の定演では、シャルパンティエやバッハをメインのプログラムにしていたが、
今回のメインは引き続いて演奏されたモンテヴェルディである。
ベルナベイの作品は、前座としてプログラムに載せられたようだ。

モンテヴェルディは2~3人の少人数で歌われるマドリガルが、それぞれ面白かった。
女性3人で歌われた2曲目では、元酒乱の女医さんが両手の手振りをまじえて、
笑顔で歌い出したのには笑ってしまった。

中年女性3名で若いイケメン男性を誘惑しているのではないか、とわたしも一緒に聞いていた
後輩も思っていた。
あとで月岡さんに聞くと、あれは3人の妖精が機織りをしている仕草だそうである。
(妖精と妖怪を聞き間違えたのではないと思う)
舞台から遠い2階席で聴いていて本当に良かった。

さて、この日の白眉はまぎれもなく最後の2曲である。
4曲目になると歌声にも磨きがかかってきて、伸びやかなソプラノが曲を閉めた際には、
会場から自然な拍手が沸き起こった。
(じゃあそれまでの拍手は、義理だったのか、という突っ込みはなし)

7声部で歌われる最後の曲では、半音を多用した大胆な和声によって、
複雑な織物が眼前で織り上がっていく。
第1ステージと同じメンバーで演奏されているとは思えないほどの完成度である。

前回のコンサートでバッハのカンタータを聴いた際、わたしは次のように書いた。
 結論から言うと、実に見事なできだった。
 より技術が高ければ、より完成度の高い演奏ができるには違いないが、
 バッハを聴かせるにはこれ以上の技術は不要だ、とわたしに言わせるだけの
 レベルの演奏だったと思う。

バッハをモンテヴェルディに置き換えたら、そっくり今回の感想となる。
モンテヴェルディはルネサンス末期ではなくて、初期バロックの作曲家である、
とわたしは強く思っているのだが、この日にもその思いを強くした。
たった10人のアンサンブルであれだけ厚みのある音楽を造れるとは、演奏者を讃えるより以前に
作曲者の天才性に敬意を表すべきである、と思った。
ベルナベイとモンテヴェルディを並べて聴いて、才能のあまりの違いに誰もが驚いただろう。

この最後の感想こそ、だまにーしゃへの最高の賛辞になると信じる。