実録・だまにーしゃ演奏会 | ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

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テロワールにより造り手により 変幻の妙を見せるピノ・ノワールの神秘を探る

12月2日日曜日、大阪市のカトリック桜宮教会にて、
アンサンブル「だまにーしゃ」の定期演奏会が開かれた。
この団体の演奏会を聴くのは、一昨年・昨年に続いて3回目で、
昨年までは音楽関係のグループにメールで感想を流していた。
それでは面倒なので、今年はここに記載することにする。

だまにーしゃというのは、10人余のメンバーからなるアマチュアの合唱団で、
メンバーの約半数は、わたしの大学時代の後輩である。
わずか10人の合唱団なので、1パートあたり2~3人となり、ソロで歌わねばならないことも
多いから、個人個人には相当な技量が要求される。

だまにーしゃというグループの名前は、ルネサンス時代のフランドル学派の作曲家、
ムスクルス・クレマスター・ダマニーシャに由来するのではなく、リーダーが住んでいる
大阪府吹田市山田西の「やまだにし」をもじったものであるらしい。
(そんな名前の作曲家は実在しません。念のため)

このコンサートの感想を早く書かねばと思っていたのだが、月初めの保険請求の
仕事やら、治験関係の仕事に時間を取られて、延び延びになってしまった。
わたしは、演奏会から持ち帰るのは、細部に対する些末な印象や技術的な評価ではなく、
そのとき居合わせた時間から、何を感じて何を得たか、というインプレッションが重要であると
思っている。

一昨年のメイン・プログラムは、マルカントワーヌ・シャルパンティエのクリスマス・オラトリオで、
数人の器楽の伴奏を伴って演奏された。
このフランス・バロックの作曲家は、芦屋が本店の有名なクレープ・洋菓子屋である
アンリ・シャルパンティエの創業者の先祖に当たるそうである(ウソ)。

一般的にはそれほど有名な作品ではないが、実はわたしが古くから愛聴している名曲で、
選曲の妙に大いに感心するとともに、バロックの佳曲を歌う喜び、聴く喜びが、
会場に満ちあふれたのであった。

昨年のメインは、シューベルトのミサ曲第2番から、サンクトゥス、ベネディクトゥスを除く4曲で、
ピアノとコントラバスを伴奏に付けて演奏された。
このグループの技術的なレベルは年々上がっていると思われたが、いかんせん
楽曲の魅力がシャルパンティエには負けていた。
わたしはシューベルトは天才だと思っているが、合唱音楽にはさほど見るべきものはない、
と言い切るのは言い過ぎだろうか。

そんなわけで、大きな欠点など何もなかったにもかかわらず、昨年はどうも音楽にのめり込めず、
かなり難しい顔をして聴いていたらしい。
出演者から、「ちょっとは楽しそうな顔をして聴け」とお叱りを受けてしまった。
聴衆の表情にまで注文をつける合唱団、というのも珍しい。

この合唱団のメンバーは、
わたしのワイン仲間で、某医学会の理事でもある痛風持ちの国立大学教授
某私立大学附属病院の臨床検査技師
大阪市福祉課に勤める地方公務員
アルトの美声をもち、ピアノの名手でありながら、男子高校で教鞭を執る
理学部数学科出身の数学教師
ソロコンサートも開くソプラノの歌い手だが、酒が入ると狂暴になる眼科の女医
など、目もくらむような多士済々なメンバーである。

このような個性的な人々が揃って練習する際には、つかみ合いの修羅場になるだろうと
容易に想像できる。
そうならないのは、ひとえに指揮者であるプロの声楽家、月岡聖芳さんの力であろう。
よほど音楽性に優れているか、腕力が強いかのどちらかだろうと思われる。

さて、今年の演奏会である。
12月ということもあって、プログラムにはクリスマスにまつわる楽曲が並ぶ。
第1ステージは有名な賛美歌が5曲で、アカペラで歌われた。
神のみ子は、もみの木、もろ人こぞりて、など、誰でも知っている曲ばかりだったが、
旋律線の輪郭が明快に聞こえる。
昨年よりメンバーが実力を上げたためだと思うが、教会の音響がよかったせいも
あるかも知れない。

第2ステージは、これまた有名な黒人霊歌集であった。
深い川、ジェリコの戦い、わが悩み知りたもう、など合唱人なら一度は歌ったことのある曲が、
ピアノ伴奏で演奏された。
中間に、札場智恵子さんのピアノソロで、バッハの「主よ人の望みの喜びよ」が
ジャズヴァージョンで演奏された。
これは有名なカンタータ147番のコラールの編曲である。

少人数でよくまとまっていたと思うが、随所に各パートのソロがちりばめられていた。
それらは各メンバーの実力を知らしめる出来であったが、少し残念なのは、
ソロの際のバックがややうるさく、ソロが明確に浮かび上がってこなかった点である。
このステージは、黒人霊歌という曲の性格上、もっとデフォルメがあり、メリハリを効かせた方が
効果的だったのではないか、と思った。
シラフの際には、メンバーは上品な品性を保っていることがよく理解できた。

最終ステージは、クリスマスにちなんだJ.S.バッハのカンタータ36番であった。
さすがにこの曲には力が入っており、選曲をごり押しした?山田西在住の団長の心意気が伺えた。
指揮者の月岡さんが、バロック楽器からなる小編成のアンサンブルを組織され、
まさにクリスマスにふさわしい、本格的な構成の演奏となった。

8曲からなる比較的小規模なカンタータであるが、テナー、ソプラノ、ベースの
アリアがあり、女声のコラールとテナーのコラールがあるから、
各人の技術的な高さが要求される作品である。

結論から言うと、実に見事なできだった。
より技術が高ければ、より完成度の高い演奏ができるには違いないが、
バッハを聴かせるにはこれ以上の技術は不要だ、とわたしに言わせるだけの
レベルの演奏だったと思う。

器楽のサポートがあった、というのは確かに大きい。
バロックヴァイオリンとバロックヴィオラが鳴り、チェンバロが銀の鈴のような音色を聴かせ、
素朴なオーボエ・ダモーレが吹かれると、もうそこはバッハの世界だ。
そして、通奏低音のヴィオラ・ダ・ガンバがあると、声が下支えされて全体が引き締まる。

いくつかの合唱団で活躍されているテナーのソロは素晴らしく、ソプラノのソロも
酒飲みとは思えない美声での名演であった。
ほんの僅かのヴィヴラートが、バロックとしては色気を感じさせすぎるのでは、
という声もあったが、それはレベルが高い歌い手であるが故の注文だろう。
最も苦労を感じさせたのがベースのソロだったが、これは曲がまるで楽器のような音程の
跳躍を要求される最も難しい曲だったためである。
アマチュアでよくここまで歌えたものだと思う。

最後のコラールが、フォルテで簡潔に、凛として歌われるさまは、まさにバッハの文法通りだ。
指揮者の両手が空中で止まった瞬間、会場にいた誰もがバッハの世界に入り込み、
すぐに拍手をすることができないほど、緊迫した空気が張りつめていた。

月岡さんがゆっくりと振り返られ、軽く会釈されると、現実に引き戻された聴衆から、
ようやく大きな拍手が沸き起こった。
これは演奏者への最大限の賛辞であると思われた。
ここまでの演奏が聴けるとは、大方の聴衆は予想していなかったに違いない。

しかし、ただ褒めるだけでは引っ込まないわたしである。
あえて苦言を申し上げるなら、アンコールに演奏されたモーツアルトの
アヴェ・ヴェルム・コルプスは今一ついただけなかった。
この曲は有名だが実はかなりの難曲で、相当きちんと演奏されなければ聴衆を魅了しない。
昨年はプログラム内で歌われたが、今回は少し練習不足が見て取れてしまった。
平易で穏やかな賛美歌でも歌っておいて、バッハの余韻を損なわない方が良かったかも知れない。

演奏会がはねて、指揮者の月岡さんに「良かったですね」とご挨拶をしたところ、
「あ、griotteさんですね。あなたが来ると聞いていたので、みんな緊張していたのですよ。
 何を言われるか戦々恐々としていました」
などと、初対面なのにとんでもないことをおっしゃる。

「どこに座って聴くのだろう」とか、「去年みたいに仏頂面で聴かれたらどうしよう」
とか言っていたらしい。
そんなにわたしは辛口の評論家なのだろうか。
どこかクレーマー扱いされている気がしないでもない。

そう言っておきながら、最前列に座ろうとしたら、メンバーの1人がやって来て、
「もっと後ろで聴け」と追い払われたし、
ICレコーダーでの録音も頼まれたし、適当に写真を撮ることも頼まれた。
「少しはニコリとして聴くように」という注文もつけられたし、
指揮者からは「ちゃんと褒めてあげてくださいね」
などとお願いまでされてしまった。

これがクレーマーに対する対応かと思うと、どうも釈然としない。
今後は、だまにーしゃを、「注文の多い合唱団」と呼ぶことにしよう。