誰だ、こんな値段を付けたのは! | ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

テロワールにより造り手により 変幻の妙を見せるピノ・ノワールの神秘を探る


フィリップ・パカレ ジュブレ・シャンベルタン ヴィエーユ・ヴィーニュ 2002
購入日    2005年1月
開栓日    2006年10月5日
購入先    ウメムラ
インポーター エイ・エム・ズィー
購入価格   6480円

まだパカレの2002が2本残っている。
このジュブレ・シャンベルタンとポマールだが、先日からのへたり具合を見ると
とっとと飲んでしまわないと、ますますへたりそうである。

同じジュブレ・シャンベルタンVV2002の1本目は8月に開栓した。
いかにも力のないワインであり、翌日には見る影もなかったが、初日だけはなんとか
楽しめる、というレベルであった。

今回の2本目も、まるで同じようなワイン、といったところである。
もはやこの造り手の2002の開栓後の立ち振る舞いは予想できているので、
驚くにはあたらない。
ほとんど論評に値しないが、いちおう記載しておく。

開栓すぐは、まだまだフレッシュさの片鱗が感じられて、少しホッとした。
しかし、何となくスの入った大根のように、中身が詰まって充実している感じがしない。
わずかにビオらしい旨みがあるのが救いだが、何とも情けない2002である。

開栓日は午後休診で、日曜日の学会発表2件の準備のため、例によってパソコンに向かっていた。
帰宅した娘からも、「お父さん、休みの日は発表の準備ばっかりやねえ」などと言われる始末である。
学術的思考?をしつつ、その間ずっとこのワインの変化を見ていたわけである。

そこではっきりと気づいたが、このワイン、開栓するや否や、直ちにかなりの急勾配で落ちていく。
1時間で、はっきりと分かるほど旨みは無くなってくるし、3時間したら悲しくなるくらい老けている。
翌日にはほとんどただの赤い水になっており、半分残したワインは、流しに直行となった・・・合掌。

さて、この1本も含めて、今週は3本のジュブレ・シャンベルタンを開けたことになる。
1本目は、ジュブレと謳っていないが、デュガ・ピィのACブルゴーニュで、
2本目はエスモナン(エモナンと発音するのかも知れないが、元阪神の「エモやん」みたい)
の村名ジュブレ・シャンベルタンVVである。
価格はそれぞれ5000円と4050円で、今回のパカレが最も高くて6480円もする!

わたしはワイン代には糸目をつけずに、福澤さんを惜しげもなくばらまいている
(ドブに捨てている)人間だが、これを書いて改めて価格を見て、相当アタマに来た。
一番できが悪くて、すでに棺桶に片足を突っ込んでいるパカレが、何で一番高いの?

デュガ・ピィは、ACブルとしては高い、というだけで、その中身に対しては、
十分に5000円を払うだけの値打ちはある。
一方のエスモナンは、これからまだまだ上のピークに達すべく力がみなぎっている感があり、
これで4000円とは、たいへん安いと言うべきである。

同じ村名ジュブレ・シャンベルタンVVの2002で、エスモナンとパカレを並べて比べたら、
前者がはるかに優れていて、レベルが高いワインであるのは明らかである。
ビオがどうだ、好みがどうだ、という問題ではない。明らかに「優劣」がある。

ブルックナーの8番では、ハンス・クナッパーツブッシュ/ミュンヘン・フィルの方が、
ヘルベルト・フォン・カラヤン/ウィーン・フィルの演奏より優れていることは、
動かしがたい事実なのと同じである。
好みの問題と混同してはいけない。
分からない人間には、一生分からないだけの話だ。

名門ミシェルのドメーヌを引き継いだシルヴィ・エスモナンと、
2001がファーストヴィンテージのパカレを比較するのは気の毒かも知れない。
これからもっとパカレは伸びていくかも知れないし、しばらくは暖かい目で見守る、
という姿勢も必要だろう。
しかしそのパカレの価格は、現実にエスモナンよりはるかに高いのだ。

リアルワインガイド誌の記事では、すでにパカレの名はブランドになっており、
セールスも好調だ、と書かれている。
プリューレ・ロックの醸造長としての実績と、DRCの醸造長の座を蹴った、という伝説が
そんなブランド・イメージを作り上げたのかも知れないが、ちゃんと価格もついて行っている。
そのリアルワインガイド誌も、ビオワインの旗手として、2003年ヴィンテージに対して、
賛辞を惜しんでいない。

しかし、わたしが手元で開栓したワインとのギャップが、あまりにも大きすぎる。
価格が3000円程度、というのであれば、今後に期待して大目に見ようという気にもなるが、
2003の村名ジュブレ・シャンベルタンなど8000円もする。

この価格は市場が決めたのだろうか。
誰かと誰かが結託して、業界主導で伝説を作り上げ、高値を誘導して
濡れ手で粟をつかんだ輩がどこかにいるのではないか、という疑念が沸き起こる。

もしそうなら、ブランド・イメージを作ってから出荷調整して品薄感を演出し、
蔵出し価格とかけ離れた市場価格で取引される、どこかの国の焼kissみたいなものだ。

わたしがパカレの2002を最初に飲んだのは最近だが、すでにかなり前からいろんな
ところでテイスターと称する方々が試飲され、評価されているはずである。
2006年にはここまで枯れ果てるワインであると、誰も予想していないのだろうか。
誰にも予想できなかったのか、黙っていただけなのか。
もし意図して伏せていたなら、業界としての利害に基づくものではないのか。

こんなワインの造り手が、ブルゴーニュの将来を担うホープだと業界の皆々様が
持ち上げるなら、エスモナンのように真っ当な仕事をしている造り手に失礼ではないか。

パカレの2005、そして2006のヴィンテージは、一体どんな価格で売られるのだろう。
そして、それらをあまたのショップやワイン誌は、どう評価するのか。
パカレの2003の飲み頃を~2020年と書いたリアルワインガイド誌が、
今後どのような評価をしてくるのか、フォローするのをわたしは決して忘れない。
意地悪い言い方で恐縮だが、正直言って楽しみだ。

もちろんわたしは、こんな価格のこんなワインなど、2度と買う気にはならない。
造ってすぐに開栓するワイン造りがお得意なら、ブルゴーニュから手を引いて、
極上のボジョレー・ヌーボー造りに専念されれば、この日本ではもっといい商売に
なるだろうと助言しておく。