病院についてやがて、院長先生に内診をしてもらいました。
結果は「妊娠は正常妊娠でしたが、流産は今のところ不完全流産です」とのこと。
そして、院長先生は更に続けました。
「4日に帰るんですよね。一番いいのは、お正月あけ、つまり4日に再検査をして、
不完全流産のままなら、手術をして、暫く入院してから、お国へ帰るのを薦めます」と。

そして、この言葉が、流産直後のホルモンで精神状態が最悪の私の心を苦しめました。

実家に帰宅後、彼に即、連絡。また、彼に電話してもらうようにお願いしました。
日本時間の夕方に彼が電話をくれました。 私は、横になったまま、ただただ
放心状態でした。そして、院長先生の言葉が
(早く手術をしないと、子宮がくさるよ)という恐ろしいメッセージとして
私の頭の中をグルグルと回っていました。
そして、生まれて初めてパニックアタックを経験します。
息ができない。。。苦しい。。。

彼と電話で話をしました。彼はただただ、私をサポートしてくれました。
そして、(ここに私の存在する場所はない。私は今すぐ、私の住む場所にもどらなければ!!)と強く思いました。

電話の後、私は帰国する片道チケットをネットで購入しました。
予定よりも2日早い帰国日でした。お正月中のフライト。
しかも、4日後の出発です。安くはありませんでした。
既に買っていた復路チケットは勿論、無駄になります。
でも、あの時、私はどれだけお金を払っても、この国に戻ってくることだけを
願っていました。そして、チケットを購入した後は、パニックアタックも収まりました。

それから、年末年始の4日間。私はおそらく、生まれて初めて、
一歩も外に出ず、ただただ両親と食べて、寝るという生活をして、
2日の日に、故郷を旅立ちました。 

支えてくれた両親には感謝してもしきれません。
本当に有難い存在ですね、親って。

kloe

女医さんからは、その場で
「今回は流産ですね。」と言われました。
それから、どんなことを言われたのかはあまり覚えていません。
ただ、笑顔で応対をしていたようで(悲しいかな、私って日本人)
診察室を出る時に、看護士さんに「おめでとうございます!」と笑顔で
見送られました。女医さんがすかさず、その看護士に「駄目よ」みたいなことを
促していたのは記憶しています。 

実家に帰宅し、両親に報告をしました。明らかに二人とも落胆していました。
でも、私自身、そんな両親を気遣う心の余裕はありませんでした。
彼に電話をしてくれるようにお願いして、電話で悲しい報告もしました。
この時ほど、彼から離れていたことを深く悔いたことはありません。

そこから、私は狂うようにネット検索をしました。
「流産」について。 妊娠の記事は多いのですが、流産に関しての記事は
少なかったです。それでも、読みまくりました。狂うように。
そして、学んだ自然完全流産と掻爬手術という言葉。

経験談を読むと、救急車を要するほどの多量出血で大変だったという話が
やたら目につきました。一体どんなことになるんだろう?? 
と恐ろしくもなりました。

病院へ行ってから2日後、自宅で安静にしていた私にオシルシがきました。
こたつから立ち上がって、爪切りを取ろうとした時のことでした。
グーンというか、ズーンというか、生理痛よりもはっきりとした重い鈍痛がお腹をおそい、
立ち上がった瞬間、私ははっきりと感じました。
何やらカタマリのようなものが、おりてくる感覚。
昔、テレビでみたウミガメの産卵シーンのような、あれを自分で経験している感覚でした。

この子が降りてくるんだなと直感した私は
牛乳の空きパックを持って、トイレに入りました。
牛乳パックには、産み落としたモノを入れる為です。
これは読みあさったネットの記事に、書かれていたことでした。流産した時は
そのモノを病院に持参すると、検査をしてくれると。
そして、それを実行に移せるほど、私は冷静でした。

ほとんど苦しむことなく、今思いだそうとしても、その時の痛みは全く
思いだせませんから、やっぱり、痛みはなかったのかもしれません、
カタマリはスポッと出てきました。 そして、それを救い上げ、牛乳パックに入れて、
母に報告しました。 

そして、例の産婦人科院へ電話報告。その日は日曜日でしたが、年末最後の緊急対応を
していました。そして、緊急入り口を教えてもらい、タクシーで母と病院へ向かいました。

後で冷静になって考えてみたのですが、流産してしまった我が子は、
とっても親孝行な子だったなあと。
エコー写真の様子では、5週目で成長はとまっていた様子。
なのに、帰省する私のことを知ってか、知らずか8週目まで待ってくれました。
更に、素晴らしい流産の日のタイミング。これが翌日だったら、病院はお正月休みに入っており
院長先生もいない状況でした。まさに、あの日、あの時間に降りて来てくれたお陰で
私は病院へ行って、院長先生から診察してもらうことができました。

感謝の気持ちで涙がとまりませんでした。

kloe
「日本の医療は素晴らしい」この国で生活をしたことがある人なら、1度はそう思ったことがあると思います。
私も例外なく、そう思っていた一人でした。この経験をするまでは。。。

私が訪れた産婦人科院は、地元では知らない人がいないほどの有名な病院でした。
親友が3年前に出産したときに、お世話になった病院だったので、行きました。

日本の産婦人科院は五つ星ホテルみたいですよね。
全く、病院という雰囲気がない、匂いもない。
施設は最先端。あらゆるところに最新の注意が払われていて、
気持ちよく利用することができますね。ま、勿論、お金はらいますからね。

でも、流産という経験をした私にとって、最新の医療施設とか、
奇麗な待合室とか、ホテルのようなトイレとか、そういうものは
どうでもいいこととしてしか映りませんでした。

さて、産婦人科院を訪れ、かなり待ちました。人気の高い病院なので待ち時間が長いことは
知らされていたので、我慢強く待ちました。
やがて女医さんに会いました。ここで、私は忘れることのできない言葉を聞きます。

私は女医さんに自分が妊娠8週目であること。
日本には3日前に帰省したばかりで、こちらの病院では妊娠は口頭報告だけで
まだ、周期が早かったので何も検査もしてないことを伝えました。

すると、女医さんが笑いながら
「あなた、本当に妊娠しているの??」と言ったんです。

確かに、日本のように内診して妊娠を確認していたわけではないので、
この質問に「はい、しています」と100%自信を持って返事できる証はありませんでしたが、
出血して不安な気持ちで初めての病院に来ているというのに
この質問って、ブラックユーモアなのか??と、しびれてしまいました。
そして、1年たった今でも、この台詞は頭から離れません。

それから、内診。最新型(?)の診察台にのり、初めてエコー画像を見ました。
袋(胎嚢)を確認、でも、そこに赤ちゃんはいませんでした。
「今日は心拍が見えませんね」と女医さんは言いました。


kloe


今、覚えば、この妊娠の時、3回ほどうずくまるほどの腹痛を経験していました。
最初に経験したのは、おそらく6週目くらいの時。職場で、急にお腹が痛くなりました。
更に、7週目くらいにも、仕事から帰宅して腹痛が来て、暫く横になっていたことがありました。
最後は、帰省時の飛行機の中で、夜中、かなりの腹痛がきて、ただただ痛みが無くなるのを祈りながら待っていました。

おそらく、子宮が収縮する痛みだったんだと、今なら分かりますが
当時は全く検討もつきませんでした。

こちらで会った医療関係の皆様からは、「帰省楽しんでね!」と
かなり明るく見送りをしてもらいました。

念のため、帰省時の飛行機の座席はアップグレードをしました。
そうすると、幸運なことに、航空会社が更にアップグレードをしてくれまして
人生初のビジネスクラスでの飛行となりました。

無事、実家に到着。 

妊娠していることを、その日の晩に両親に伝えました。
正直、結婚せずに妊娠しているという事実に、二人がどう反応するのか
全く想像がつかず、一抹の不安もありましたが、
高齢な娘のことを思ったのか、二人とも素直に喜んでくれました。
というか、かなりタマゲタ状態でした。

その数日後、朝起きると出血していることに気づきます。
薄茶色の血液でした。 腹痛は全くありませんでした。
その日、たまたま親友とお昼をする約束をしていたため、
彼女に出血のことを話しました。
12月27日。年もせまった日のことでした。
そして、彼女の薦めで地元ではかなり有名な産婦人科へその足で行くことにしました。

海外旅行保険は持っていました。(助産師に保険だけは効くかどうか確認するようにいわれていました。)
ですが、当然国民保険とか社会保険はもっていません。
治療費のことが頭をよぎりましたが、兎に角、年末で病院がしまる前にと
その日に産婦人科へと行きました。


kloe
去年の後半は、私と彼は「別れの危機」を迎えていたときでした。

数ヶ月の沈黙、そして、11月に再会を果たしました。
その時、これからのことを真剣に話合いました。

子どもが欲しい これは、私達二人の共通の思いでした。

当時、私42歳、彼40歳。高齢カップルの子づくり。
私の頭をよぎったのは、勿論、「私は妊娠できる身体なのか?年齢なのか?」
勿論、できない可能性も考えました。彼は、その時は養子縁組をとればいいと
言う考えでした。私は、正直「子どもが欲しい」と願ったのは、彼に出会ってから
のことだったので、「なるほど~ そういう選択肢もあるのか」と思いました。
そして、私達は子づくりを開始したのです。

すると、最初の月になんと妊娠が発覚。
あの時は、まるで狐につままれたような、フワフワと夢の中にいるような、
妙に現実味のない感覚に包まれていたのを今でも覚えています。

それから、沢山のことが頭をよぎりましたが、一番最初に考えたのが
年末に予定していた帰省のことでした。

夏の終わりに、彼からの距離を実感していた私は、早々に年末に一人で帰国する手配をしていました。
久しぶりの日本でのお正月。1年ぶりの両親との再会。

ちょうど、8週目になるころの長距離フライト。一体、大丈夫なのだろうか??
それが最初に頭をよぎりました。
そして、気がつくと、狂ったように妊娠初期の長距離移動と流産の関係で
検索をかけまくっている自分がいました。
今思えば、心の準備をするように導かれていたのかなと思います。
当時は、自分が引き寄せたんだ。。。と思いました。

その検索から学んだこと。妊娠初期の流産の確立の高さ。
勿論、年齢が上がれば、その確立は上がります。 
そして、流産の原因。 
それは、染色体異常によるものであり、育たない命は育たない。
母体が原因ではないと言うことでした。
それから、長距離移動の影響の少なさ。これは特に、日本語以外での情報原から得られました。

まだ、妊娠5週の早い時期に、私はGPを訪れました。
そして、助産婦を紹介されました。この国では、助産婦に会いに行く時期は、8週目です。
ですが、事情を説明すると、GPも助産婦も快く時間を作ってくれて、
「今の段階では何もできないけど、日本から戻って来たら、スキャンや色々なことが
できるように手配をとっておくからね。」と言ってくれました。
勿論、長距離フライトへの不安も打ち明けましたが、
「全く問題ありません」という反応でした。

それで、私は予定通り、年末帰国を実行しました。

kloe


今日は私の個人的な話を書きます。
あまり明るい話ではないので、暗い話を読むのが辛い方は、スルーされてください。






1年前の今日。 実は私、流産をしました。
この国の計算で8週目でした。(日本の計算だと7週目かな)

両親が健在な私にとって、この流産は私の人生の中で一番辛い経験となりました。
どうして、これを公開の記事にしたかと言うと、
1年前、不安定な精神状態にあった私はネット検索をしまくりました。
妊娠ブログに比べて、流産報告の記事は極端に少なく、
実生活でも、流産を語ることは、皆無に等しく、
一つでも流産経験の記事が多くあれば、今同じような思いをしている方々に
決して、孤独な経験ではないということを伝えたいな  と
思ったからです。 

また、どうして、流産直後に記事にしなかったのかというと、
気持ちの生理が上手くできていなく、
1年後に私の気持ちが落ち着いていたら、書いてみようと
決めたからです。

一つ、誤解されたくないのは、確かに流産自体は想像を超える経験でしたが
全てが全てマイナスだったわけではないと言うことです。

流れてしまった、我が子には今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
本当に、未熟で用意が整っていなかった私に、沢山のことを教えてくれた子。
彼女がいたから、今の私達がある。

彼女の存在を記録することで、少しでもこの気持ちが届けばと思います。

kloe

雪が降りました。この冬、初の雪。
{ED708D9B-57FB-44C4-9B4E-3407A80B793A:01}

kloe
只今、彼宅。彼の息子と過ごす初めてのクリスマス。
子供ってこんなにクリスマスに興奮するんですね~
明日、あさ、6時半起きだそうです。
もう今からソワソワ。

みなさま、素敵なクリスマスを‼︎
{FFFB5133-1FAB-41CC-A820-6D94DC5D5748:01}

kloe
昨日は、職場からキャロルサービスへ行きました。
{31D2128A-8CBB-425B-8E09-F2756F7BE658:01}

近くの教会が満員。
{295EC6A6-55AC-4BAD-9BD3-CBEC4DC64F2B:01}

私は初めて聞く歌でしたが、慣れれば一緒に歌えました。

う~ん、クリスマスクリスマスツリー

kloe

なんだか急に忙しくなってまいりました。師走ですね~

なんと言っても、この時期はクリスマス前に会わなければならない人リストを

クリアしていくのに追われます。

クリスマス越したら意味ないし。でも、あちらも対外忙しいし。

そんなこんなで、なんと来週の月曜日には朝、昼、晩と数時間おきに

友人宅をめぐる予定となってしまいました。 


さてさて、今年はなんだか、なにかとお誘いが多い年でして、

大晦日は、彼の友達家族から招待をいただきまして、

この国にきて、かなり久しぶりに、現地人の大晦日パーティに参加します。


更に、26日、Boxing dayには、私をこの国へ連れてきてくださった、

ビザ申請の要となった上司、(今は退職されていますが)からも

夕食の招待をいただきました。この上司、退職当時、この国で一番長く校長を務めた

多大な功績を祝して、女王からメダルもらった人なんです。

日本人の私は、毎回緊張します。


仕事収めまで後二日!!

がんばります。


kloe