硝子の中の蒼穹 -2ページ目

硝子の中の蒼穹

硝子玉の中にあるのは青い空。心の中にいつも希望があるように。

自分の認識が世界を作っていると言うのなら

 

東京で暮らしていた息子が戻ってきて死ぬまでの1年半をすっかり無かったことと私が認識すれば

 

まだ彼は東京の何処かで、変わらぬ日々の暮らしをしているのだろうか。

 

全然会えないけれど元気にやっていると思えばそれは現実になるのかな。

 

いや、現実になるというか。

 

会えないけどいる。

もうこの世界にいない

違いはなんなんだろう。

 

そんなとりとめないことを考えながらダラダラと過ごした年末年始でした。

先週心療内科を卒業しました。

 

勝手に抗うつ剤、睡眠導入剤の服用を中止し(ちゃんと素人ながら徐々に減薬してできるだけ対策したつもり…でも本当はダメだよね) 、その結果薬の服用時に起きていた昼間の抗いがたい眠気やふらつきから開放された旨、担当医師に強く訴えた結果無事放免されました。

 

呆れられて見放されただけかもですが。

 

のべつ幕なく電車の中であろうと人混みを歩いている時であろうと、突然涙が出てくる、声は出さないけれどさぞおかしな人であったろう初期の頃は、苦しくて心療内科に行けば楽になるのかなと思いました。

 

息子が死んで1年半になります。

最初の2ヶ月はどこでも何を見ても号泣していたのに、心療内科に通いだして1年4ヶ月、涙は確かに出なくなった。

だからしばらくは随分と通勤や仕事が楽になりました。

 

でも、気づけばだからと言って悲しみが無くなった訳では無いし、むしろ泣くことができなくなった分、塞がったかに見える傷が実は奥でグズグズに膿んでいるような嫌な感じが続いていました。

 

抗うつ剤や睡眠導入剤で、傷の上に無理やり絆創膏貼って表面的に痛まないようにしている不自然な感じがどうにも我慢ならなくなって来たので今回の暴挙となりました。

 

どうせ傷は癒えることないのでこれでいいと思っています。

 

敢えて空気にさらすことによって徐々に乾いてそのうち血も止まりカサブタができる日が来るのかもしれない。

それとも死ぬまでこのままかもしれない。どちらでもいいのです。忘れることはできないのですから。

 

 

 

息子がいなくなってもうすぐ一年。

その日が近づいてくるにつれてなんとも胸がざわめく。

 

去年の今頃はまだ生きていて、でももう死ぬ決心をしていたんだろうか。

どうにかして助ける方法はなかったのか。

 

あの日から何度も何度も数え切れないくらい考えた答えの出ない疑問や後悔がきつく心を苛む。

「この家の敷居は二度とまたぐな」と言い放った。

でも絶対またヘラヘラしながら帰って来ると高を括っていた。

 

母がそんなこと言わなかったらおまえは死なないで逃げて帰って来ただろうか。

 

10日程前、夜中の2時頃ふいに「おるん?(いるの?)」という声が聞こえて飛び起きた。

確かに息子の声だったし、普通に人が喋りかけてきた距離感・息遣いだった。

 

電気を付けてももちろん誰の姿もなく、あまりに「普通の人間の声」だったので、起きて他の部屋や戸締まりまで見に行ったが、もちろん誰もおらず、鍵もちゃんと閉まっていた。

 

死んでもうすぐ一年、やっと家に帰ってくることができたんだろうか。

「おるに決まってるやろ。かあさんはどこにも行かないよ」と声に出して言ってみた。

 

それから今日までもう声を聞くことも、もちろん姿を見ることもないけれど幽霊でもなんでもいいからまた声を聞かせてほしいし今度は姿も見せてほしい。

 

お願い。