青空のタワー | *みそぐりん*のキラ手箱

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これは、いいもの!と思うものの収集記

充分な存在感があるには違いないのに地元民には割合忘れられちゃってる存在ってあると思う。
多分存在感十分なのに‥。

たとえばさ‥‥こんなもの。

なんだ。こりゃスゲェ!!∑ヾ( ̄0 ̄;|  oh!!


え?なになにこのマジンガーZ(古っ!!)みたいなの。
パンフレットかなんかのイラストかって?
いいえ、ワタクシが先日実際にこのふもとにいって撮った建物なのよwwwwww
絵みたいでしょう?アクリル画みたいになってしまったわ。
てか、大昔の円谷プロの特撮シーンの背景っぽい(これ、分っかるかなー(笑))
なんか現実感ない感じよねぇ(^o^;) 

 こうすりゃ少しは現実感あるかな?

これは小名浜港の岬にある三埼公園というところに立っている、展望タワーでいわきマリンタワーといいます。
なんか、ジモッチーのワタクシ、もうこのタワーの存在は空気のようになってて、小名浜港に行ってもとりたてて存在を気にしなくなっていまして‥。

本日はそんなタワーのお話を。


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5月の大型連休が終わってまもない平日、その日はまっこと美しい青空と爽やかな風の吹きわたる日でありました。
雨女決定のワタクシ。
しかしその日は珍しい!まっこと珍しいまっこと晴れの日でありまして、まっことーがいくつも付いちゃうような、まっことご機嫌な休日なのでした。

海を確かめる日にしないわけにはいくめい!

その日三崎公園に行くことにしたのは、公園が小名浜港を見下ろせる岬の高台にあるので。
高い所から小名浜港を一望しながらコーヒーでも飲んでボーーッとしたくなったからなのです。

まぁ、仕事以外ではいつでもぼーーーっとしてますがね(^^ゞー仕事中もたまにぼーっとしてるという噂もちらほら~。

 


平日のお昼前。
公園には芝生の広場があり、子供連れのお母さんなどが子供たちをあそばせていたり、愛犬連れの若い夫婦などが弁当を開いていたりする姿がありました。
やってきたハトに何かしらを与えている親子連れの様子なんかを見ながら、座って小名浜港を見下ろしておりました。

小名浜港の海は空の青さの合わせ鏡のように、清々しくしかも静かに穏やかでした。


しばらく景色を満喫し、そのあとそこから一段高くなっている例のマリンタワーの立つ区域に行って、も少し見通しのひろい所から小名浜港を見直すことにしました。

階段を上っていくと、賑やかな声が響いてきました。




おぉ、中学生たちが遠足‥野外学習かで来ているようですねぇ。
この辺の中学生なのか遠い所の子たちなのはわかりませんが。
新緑の下、見事に晴れた日になった行事は、みんなを朗らかにしております。
良かったねェ晴れてさ。
賑やかでヨロシイ。思わずニコニコしてしまうワタクシ。

しばらく敷地内を写真を撮りながら歩いていると、子供たちが先生に、「タワーに上るのっていくらかかるんですか?」とか聞いているし、「上ってみよう~!」などと言っているのも聞こえてくる。
タワーの方にバラバラと駆け出す子たちもいるゾ!

こんなのを見て、おばさんは俄然タワーに上りたくなってきたましたよ。

タワーには県外から友人が来ると連れて行ったりして何度か上っている。
今日もいまさらお金を出してまで、ひとりでさびしーくとぼとぼタワーに足を運ぶつもりは、はなからありませんでした。
今日の目的は公園でボーッと海風に当たることでしかなかったし。

しかし、しかし。子供たちがタワーに上るのなら、一緒に上に行って彼ら、彼女らがどんな表情でどんなことを話しながらタワ―からの景色を見るのかを見聞きしたくなるというものです。
ガラっと気持ちが変わる。

よし上っちゃる!

タワーに足を運ぶことに決定!

入り口で料金カクニン~。
320円―ね。。。。。。
‥‥‥
ま。まぁイイカぁ(^_^;)


 
320円払って一人屋上へのエレベーターへ。


 

ここで-いわきマリンタワーのお勉強。
「いわきマリンタワー」は小名浜港東端の岬、海上46mの台地に広がる、総面積700,000㎡の三崎公園一角に立つ塔屋59.99mの展望塔です。
 海抜106mの展望室から、いわき一円が一望でき、屋上の「スカイデッキ」からは360度の大パノラマが広がり、潮風をうけながら非常にエキサイティングな体験ができます。
以上いわきマリンタワーホームページより

エレベターで行ける階で降り、さらに上にある屋上まで狭い階段をひたひた上ります。
せっまーい階段なので本当に屋上に到達するのかちょっと不安になりつ‥。

狭い階段を上り切り野外のふきっ晒しの屋上-スカイデッキ-に到着。

記憶にあるより、屋上はずっと狭い。
こんなんだったっけか~?
さらにそこに海風がかなりの勢いで吹き抜ける。
ゴウッ!
思わずよろよろと近くの手すりにしがみつく。
こ、こえーーー!
た、確かにホームページのうたい文句にウソはありません!

非常にエキサイティングな体験できます((◎д◎ ))!!



小名浜港が広がります。

造船ドッグ、魚市場、そして観光施設ら・ら・ミュウ、水族館が見えます。
その先にはワタクシの子守歌みたいに身近にあった臨海工場地帯の様々な音、
その音の主の工場地帯が煙を上げて息づいている~。






南に目を転じると、公園の野外音楽堂の丸いステージの屋根、先には見はるかす太平洋。

美しい!

あら?そーいば、さっきバラバラと展望タワーに向かっていた中学生たちはどーしたの?

先ほどから狭い展望スペースには60年配のおじさまと二人きり。
強風にあおられないように、手すりにつかまってそろそろとお互いの展望に邪魔にならないように、微妙な距離を推し量りながら、気をつかいつつ移動していたりしする。
へんな緊張感があります~(θωθ)/~

おーい、チューガクセー諸君、君たちの好奇心と柔らかな感性と無邪気さで、この風景はどんなふうに広がるのか知りたくて高額な320円払って上って参ったのだぞぉ~。

上がってこんかい、上がって!

んんん?


あらららら、なーんとチューガクセー諸君は、下でお弁当をひろげてた~(笑)
彼ら、彼女らが先ほど向かっていたのはどうやらタワー下にあるトイレでしたわ(笑)

くそーーー(笑)
まあ、いいかぁ。


気まずい二人っきりの、ほんの短いお付き合いだったおじさまが下へ降りていきました~。
おじさまが眺めていた北東方向を見渡す位置に行ってみる。


 


この先の方にいわき市の永崎、中之作、豊間、そして薄磯地区が海沿いに連なっています。
いままでワタクシがブログに載せてきた津波の被害が甚大だった地区です。

あまりにも美し砂浜の連なり-。

先ほどエレベターホールのところで、タワーの清掃の方が観光客の方に、こちらの方角を指さして、あの保育所は流されてしまったんですよ。と説明していた。
「下神白保育所」-写真中央の下の山のかたまりの先にある、砂浜間近の場所。
園児は逃げて全員無事だったそうです。

その先に大きな学校らしい建物が見えます。
「海星高校」津波の直撃を受けた高校です。幸い学校内での犠牲者はありませんでしたが、下校中亡くなった生徒がいると聞いております。

この高校はこの間の春の選抜高校野球に、21世紀枠で出場したのでした。
今、このチームのエースは遠洋漁業の講習で海に出ている最中だそうで。
残された部員たちで甲子園にむけて地区予選の試合頑張っているんだって。
みんなガンバレ(^-^)/




もう一度小名浜港から小名浜の市街地方向にもどってみました。

震災で小名浜港は甚大な被害を受け、犠牲となられた方々もいらっしゃる。
あの時の傷は深く強烈だった。
津波の到達距離は港より数百メートル範囲でありました。
市街地の小さな川は海水が逆流し川沿いの地区は市街地の奥深くまで浸水をもたらしたらしいですが。。。。
津波が、宮城や岩手の沿岸のような規模でおそったら、あるいは地形がもっと違っていたら、小名浜ももっと奥の方まで波に飲まれてしまっていたかもしれない。
ここに広がるような町が根こそぎのように無くなったのを、宮城や岩手にワタクシたちは見たのでした。
この写真に写っている市街地の建物の風景も失われていたかもしれない。
小名浜はあの地震で、街全体のような壊滅は免れました。
しかし、それは紙一重の差で免れたにすぎなかったのかもしれない。。。。。。


タワーを降りる。
降りてもまだタワーには子供たちは来ていないようでした。
みんなどんなお弁当を食べてるのかなぁ~。




公園の芝生に2006年に作られた「いわき市制施行40周年記念イベント」のモニュメントがありました。
子供たちひとりひとりが描いた絵のタイルが貼り込んであります。
明るき柔らかい色彩。
なんともかわいらしい。

これを見ながら、これを作っている子供たちの横顔をあれやこれや想像する。
あのお弁当を広げている芝生の中学生達、海星高校の球児たちを想う。
遠い海原でマグロを釣る船の上で立ち働くエース達の事を想像する。

この子供たちをのこれからを守らなければならないのは、ワタクシたちだ。
大人はそのために生きているのではないか―。
近頃そんなふうに思うようになっている。これは。。。近頃ちょっとずつ高齢化しているせいかもしれません(笑)

決して大人たちは自然の威力がにんげんにはどうしようもない力としてあり続けるのだーということを忘れてはいけないのだ。
人間が何をも克服できるという思い違いをあの時ワタクシたちは思い知ったハズなのに。
いままた忘れ去ろうとはしていないか。
壊滅してしてしまった町、失われてしまった人たちの命。をそれをまざまざと見たワタクシたちは記憶して伝えていかなければならない。

自分の町のこととして。

そんなふうに思う。


 


帰りに岬の先っぽの海際を通りました。

なんだかわらってしまうくらい海はキレイで。
少し胸の奥がしん、と痛んだのでした。