前巷説百物語  京極夏彦 | 暴走ピノキオ 文学・音楽・地域研究

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「窮鼠猫を噛む」

一体誰が鼠で誰が猫なのだろうか?

人間という生き物の儚さは、いつの時代でも醜さと美しさの結合だが、前巷説百物語を一貫して支配するのは人の醜美を見て人の本質を悟る哲学。筆者にはそんなつもりは無かったかもしれないが、読み手にはそのように響いた。

江戸時代は六畳程度の広さの長屋が多く、非日常的に使用する物は損料屋というレンタル業者から借りる場合が多く、江戸では損料屋が庶民に重宝されていたらしい。

損料屋が貸し出すのは鍋、衣装などの日用品。特に蒲団が多かったらしいが、ゑんま屋が貸し出すのは日用品のみならず、椀、膳、大工道具、赤子に着せる襁褓、更に人も知恵も貸す。それだけではなく裏の仕事までする。
大損、まる損、困り損、死に損、遣られ損、ありとあらゆる憂き世の損を見合った銭で肩代わりする。

お甲という謎多き女性経営者の下、ゑんま屋に常駐してる者、常駐はしてないが外注を受ける者。キャラの立った登場人物達がゑんま屋を囲む。

京から林蔵とともに江戸へ流れてきた又市は表向きは双六売り。無頼を気取る小股くぐりと自称するが、時々人から「青臭い」と評される。この「青臭い」は決して卑しんでのことではなく、むしろ非道を憎む正義感の強い又市を称えてそのように称している。やはり又市はこの物語の主人公に相応しい個性の持ち主と言えよう。

相方の林蔵は縁起物屋で口先だけで世の中を渡ろうという調子の良い半端者。

長屋に住む本草学者で博識の隠居、久瀬棠庵はゑんま屋の良き相談役。時々知恵を借りに数々の面子が棠庵のもとを訪れ、気づきを得た瞬間から話の展開が進む。

ゑんま屋で殺しが絡むような荒事を任される山崎寅之助は侍の身分でありながら刀を帯刀せず素手で仇討ちをする。意外なことに、その容姿についての記述は少なく、どれほどの体躯なのかさえ不明瞭だが紛う事なき豪傑である。

むしろ容姿について詳細に語られているのは長耳の仲蔵である。巨躯の手遊屋、つまり玩具売りで、体が大きい割には手先が器用。その創作物のお陰でゑんま屋は細工を施し人を騙して荒事を解決する。

年代は1800年代とみられ、平和な日本が少しずつ欧米列強国の干渉を受け始めていた頃。
誰もが無垢で素直だった時代に騙し騙される気楽な滑稽さが平和を象徴するかのような「寝肥」「周防大蟆」「二口女」。だが「かみなり」からはゑんま屋にも危険が及び被害を被る。損料屋は裏社会の恨みを買い最終章の「旧鼠」では壊滅的に。
悲劇的な展開を凌ぐ小股くぐりが猫を噛む。

★★★★★