ベルリンからこんにちは!

ベルリン観光個人ガイド

後藤裕起子ですラブラブ

 

 

本日のお題は、

「現代建築の権化グロピウスってどんな人?」でございます。

 

本年は現代建築モダニスム建築の権化 バウハウス創立からちょうど100年の記念の年

 

キラキラ

 

1919年にワイマールに創設された新しい建築学校

それがバウハウスの始まりだったのです。

 

 

あし

 

 

創設者の一人であるグロピウスは初代校長先生でした。

 

グロピウスは、1883年ベルリンに生まれたベルリン子。

おじさんはドイツの3大建築家カール・フリードリッヒ・シンケルの弟子であったマルティングロピウス。

 

ということから、建築に関してはすでに幼い時から見聞きしており、

興味を持っていたんですね〜。

 

 

そもそもこのバウハウス、現代建築の構想は

このバウハウスから発信されたと言っても過言ではなく、

 

これは建築、工芸、デザインを統一させた新しい教育方針だったんです。

 

 

今では、一つランプを見ても、様々なデザインがありますが、

このデザインと機能がマッチしたもの

この粋を新たに構築していった学校教育を

グロピウスはビルトアップしていったんですね。。

 

 

1903年〜1907年の間ミュンヘンやベルリンの工科大学で建築を学びました。

そのあと、ベルリンのおじさんの建築事務所で働き、そこでは、

鉄鋼とガラスを使った新しいモダニズム建築を提唱した、

 

ミース・ファン・デル・ローエとはここで出会ったそうです。

歴史上偉大な人は必ず偉大な人との出会いがあり

お互いに触発されていくんですよね〜

 

キラキラ

 

 

ところで、グロピウスは華麗な男性歴を持っていた

大作曲家グスタフマーラーの妻であった

アルママーラーと結婚します。

 

その後、愛が破綻し離婚への道を辿らなければならなかった。。

 

そんな宿命の嵐にも出会ったんですね〜。

 

 

近代建築の四代巨匠の一人と言われるヴァルターグロピウスは、

このバウハウスの教育理念を世に問い

1919年から1928年まで尽力致しました。

 

 

その後、

ベルリンの事務所で集合住宅建築に携わり、

ドイツはナチ党の向かい風が強く

イギリスに亡命した後、アメリカで大きく活躍して行きます。

 

 

ハート