急に晩夏を感じさせる
ベルリンから今日は!
人と文化を繋ぐベルリン観光個人ガイド
後藤裕起子です。
お客様の生のお声をお聞き下さいませ
本日のお題は、「57年前の今日!ベルリンに東西を分断する壁が作られた〜ぁ」
でございます。
お陰様であのヒステリックな酷暑も去り、
涼風が心地よく、
夜もぐっすり眠れるようになりました
さて、
当ブログにお立ち寄りいただき誠にありがとうございます。
上の画像は、
1985年のまだ壁があった時のシロモノ。
その当時
自分の仕事でアムステルダムに住んでいた私は
日本から遊びにやってきた両親と一緒に、ベルリンの壁を観に飛行機で
西ベルリンのテーゲル空港へ飛びました。
そして、観光バスでベルリン市内を観光したんです。
この写真は西ベルリンからゲットした物で、
ブランデンブルグ門の上にある勝利の女神の像はお尻を向けていますよね
この壁は、1961年8月13日から構築されて行ったんです。
いきなり、特令が出され、遮断されてしまいました。
崩壊するまで28年もの長い間、ベルリンの西側と東側を分断していた壁は、
約156Kmあったと言われています。
だもんで、お隣さんとうちの敷地の間に壁を作ったなんていうちゃちなものではなく、
西ベルリンをすっぽり囲っていたベルリンの壁。
深刻なもの、だってこの壁を越すなんていることがあれば、
それは命と取り替えになっていたんです。
悪魔の存在、そのものでした
覗き見なんて以ての外
しかし、この壁に対する恐怖感も、
当時を知る西ベルリン、東ベルリンの方々の話を聞くと、
壁に対する温度が違うのにびっくりします。
逃げようという気持ちがさらさらなかった西ベルリンの人にとってみれば、
生活する分には、なんら支障の無かった
ベルリンの壁っていう感覚も無きにしも非ず。
しかし、第二次世界大戦後、
徹底的に戦争を起こしてしまった「負の克服」に尽力してきた
西ベルリン、西ドイツの人にしてみれば
この共産主義の持つ「不自由さ」は、彼らには許せない人権蹂躙だったようです。
ベルリンから欧州、世界の現代史は始まって行きました。
その連合国の元支配されていた西ベルリン時代の
政治的な動きがわかる博物館がございます。
Alliierte Museum
第二次世界大戦後のベルリン・なかんずく西ベルリンの様子がお知りになりたい方には
おススメです。
ベルリンの壁は、世界で東西の陣営の亀裂が始まった
その最先端にあった
第二次戦争のオトシゴ的な意味を持っていたと言っても
過言ではございません。
お客様のお持ちのお時間で
ガイディングプランをお作りいたします。
まずは、お気軽にお問い合わせ下さいませ。
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弊社に、どうかお任せ下さい。