ドレスデンから今日は!

あんた、ドレスデンに引越ししたんはてなマーク

照れ

ちゃいますよぉ〜、ベルリン在住ですねん。。

時々ドレスデン観光にもお声をかけて頂いております。。

 

ウインク

 

ベルリン観光個人ガイド

後藤裕起子です。

 

ハート

 

本日も当ブログにお立ち寄りいただきまして誠に有り難うざいますビックリマーク

 

 

あのヒステリックな猛暑も大急ぎでお暇され、やっと気温が13度下りました。

只今22度だけ、、。

 

 

本日のお題は、「ドイツオペラを確立したウェーバーの活躍したドレスデン」

でございます。

 

 

牧歌的な遠くボヘミヤ方面に目を向けると、

ドレスデンのピルニッツ城のほど近くに

カール・マリア・ウェーバーの夏の避暑に使用した家がございます。

 

 

上の画像は、

そのブドウに覆われた家。

 

ここで、ウェーバーは彼の代表作の一つ

魔弾の射手を作曲しました。

 

 

ホルンの音色が心地良く

オペラの開幕を告げていきます。

 

 

ドイツに古くからあったお話し。

この歌劇は、ドイツ国民歌劇を確立した作品としてオペラ史にも燦然と輝いていますし、

悪魔に魂を売ると得られるという必中の魔弾の物語、民話を取り上げています。

 

 

この辺の話の展開が何ともドイツ的。

 

ドイツファンのアタシにしてみれば、

ワクワクする下りなんです。。

 

悪魔にそそのかれるっている発想が日本の民話にはありましたっけ??

 

 

爆弾

 

 

彼の活躍した時代背景は、

ゲーテの活躍した時代に重なって参ります。

 

 

 

C.M.ウェーバーとはどういう人であったのか。。

 

北ドイツのバラの町と言われている小さな地方都市

オイティンに生まれます。

 

オイティンでは、毎年ウェーバーの月間が設けられており、

今年は、6月3日から11月24日まで。

その間、様々な音楽の催しが開かれ、ツーリストのマグネットになっています。

 

 

さて、

 

彼の音楽家として大成する音楽環境はどんなものだったのでしょう・・

 

お父さんは、軍人出身の音楽家、お母さんはイタリアで修行したソプラノ歌手

おじさんはマンハイム宮廷楽人

その娘は、何と音楽の神童と言われたモーツァルトの妻のコンスタンツェ

 

ポーン

 

ということは、

ウェーバーとモーツァルトの妻はいとこ同士。

 

世界は狭いもんですね〜。

そんなところで繋がっていたなんて、ネッ!?

 

 

 

両親の巡業について回り

音楽環境は音楽家の両親の中で作られていったんでしょう。

 

 

10歳の時には、ザルツブルグで、

これまた大作曲家で有名なハイドンの弟のミヒャエル・ハイドンのもと作曲を学び

13歳の時には、ピアニストとしてデヴュー

 

 

ルンルン

 

 

その後、トントンと上げ潮に乗って成功して行きます。

 

 

1816年にはプラハのオペラ座で、音楽監督として従事し、3年間で歌劇団を大きく発展させて行き

ドレスデンのゼンパオペラ劇場の音楽監督に就寝し、

終身ゼンパに音楽生命を捧げてまいります。

 

 

このゼンパオペラ劇場は

 

ミラノのラ・スカラよりも音響が良いと言われている音楽の殿堂

 

 

 

そんな中、

この夏の避暑家でかの有名な魔弾の射手を作曲。

 

この家では、定期的にコンサートが開かれており、

管理人さんのお話によると、

 

コンサートで演奏してくださった音楽家の方達に

ここで採れたぶどうでワインを作り、

 

真心のお礼をされるそうです。

 

 

 

プレゼント

 

 

その気持ちが嬉しいですよね。

 

 

赤ワイン赤ワイン

 

それでは、ここらでワインで乾杯といきましょうか?

 

 

ツンヴォール カンパ〜い

 

完了