読者の皆様

ベルリン観光個人ガイド

後藤裕起子ですドキドキ

 

 

http://berlin-kanougaido.com

 

アップ

 

お客様のお喜びの声はここをクリック音譜

 

 

 

前々回の当ブログで、

ハプスブルグ家に触れさせていただきました。

 

そうそう、プロイセンのフリードリッヒ2世(臣下に大王と呼ばれていました)と

ハプスブルグ家のマリアテレージアは宿敵の仲だったというお話をいたしましたよねっ。

 

 

上の画像は、

アメリカ現代アートで有名な

アンディ ウォーホールの描いた

フリードリッヒ大王の絵

 

このフリードリッヒ大王の建てたサンスーシ宮殿は泣く子も黙る

ユネスコの世界文化遺産に指定されていますビックリマーク

 

ラブ

 

 

ロココ調の葡萄の蔓が慣れ下がり、

英語で言うところの「C」の文字のように

曲線を楽しんだ様式

 

 

このサンスーシ宮殿の大理石の間は

イタリアのかららから運んできた太い大理石の柱を使い

立派に建てられています。

 

 

 

この大理石の間で繰り広げられたのは、

 

王様の好きだったテーマに沿って

意見の交換がなされていきました。

 

そのテーマは、

大きく4つに分かれており、

 

音楽、建築、絵画、宇宙と、、、。

 

 

これはその当時の様子を絵画化したもの。。

 

 

 

フランス革命ってご存知ですよね?

ギロチンの露と消えていったマリーアントワネットのアレ、、です。

 

大昔、池田理代子さんのアニメ「ベルサイユのばら」の時代がそれに当たります。

 

ベルバラの初版の頃はまだ生まれていなかったですって

 

ムキー

 

このフランス革命のベースになっていた思想が

啓蒙思想という思想でした。。

 

 

この啓蒙思想により、

その当時国家による重商主義が積極的に展開された結果、

経済活動が活発になっていきました。

 

都市領域が発展して行き、

市民層や官僚に大学教授、芸術家、ジャーナリストが加わり、

新しい知識階級が生まれ、彼らを中心に

新しい公共の層が誕生していきました。

 

 

筋肉

 

 

この啓蒙思想を積極的に国家政策に取り入れて行ったのが、

 

フリードリッヒ大王だったというわけです。

 

 

宗教の寛容さ、

司法制度の改革、

法制度の統一、

 

啓蒙思想の特徴であり、万民平等の発想は、

「朕は国家第一の下僕なり」

という言葉を発するようにさせるところまで、

 

フリードリッヒ大王は徹底してこの啓蒙思想を

咀嚼していったんですねっ!

 

 

18世紀のベルリンのサロンの版画がございますけれど、

 

裕福なユダヤ商人の娘ラヘル・レヴィのサロンに

詩人政治家、自然科学者、作曲家、貴族などが集った場面がございます。

 

 

またこの啓蒙思想が

市民階級の文化を構築してまいりました。

 

この新しい知識人階級に

好まれた場所が、コーヒーハウス。

 

 

コーヒー コーヒー コーヒー

 

ここで議論を交わし、

読書や公共福祉を目的とする様々な協会も設立

そこが一つの社交の場ともなってまいります。

 

メモ

 

 

また当時盛んに刊行されるようになった新聞や雑誌は、

 

18世紀末のドイツで

流行っていた雑誌が4000点

総刊行部数は30万を超え、

各地の読書協会は400余に達していました。

 

 

こうした市民の間に草の根のごとく広まっていった啓蒙主義は、

それ以前の絶対主義的な社会秩序と対立し、

根底から社会を揺り動かす潜在的な力を蓄えていくようになって行きます。

 

 

この大きな市民階級の構築は、

いわゆる王様が広く寛容な政治を行っていった

その鼻先から始まっていったと言っても

 

過言ではないですよね

 

ウインク

 

 

歴史は繰り返されると考えるドイツ人

 

 

今や難所に乗り上げてしまったEU丸

ヨーロッパ共同体

 

 

新しい展望を模索しているのが実感としてわかります。

 

欧州在住30年以上のガイドが

ガイディングを賜っていますラブラブ

 

 

ベルリンを中心に東ドイツの御観光ガイドは

弊社にお任せ下さいませ。

 

 

チョキ

 

 

お客様の足はご希望に沿って、

専用車、バス、公共交通機関と何でもご用意させて頂きます。。

 

コーヒー

 

 

本日も当ブログにお立ち寄りいただきまして

誠にありがとうございましたビックリマーク