ベルリンから今日は!

 

ベルリンを中心に東ドイツの珠玉の如く光る文化歴史を紹介している

観光個人ガイド 後藤裕起子ですドキドキ

 

 

http://berlin-kankougaido.com

 

アップ

 

お客様のお喜びの声をお聞きくださいビックリマーク

 

 

 

本日はポツダム市にあるユネスコ世界文化遺産に指定されている

サンスシー宮殿の庭園内にある新宮殿のご案内です。

 

 

サンスシー宮殿を造営した

プロイセン王国の3代目の王様フリードリッヒ2世が建造したお城が

 

標題の新宮殿です。

 

 

 

この新と言う言葉、

じゃあ〜どこかに古い建物があって、その上で新と言うのかなって、

 

ご想像がつきますよねっはてなマーク

 

キョロキョロ

 

 

ええ〜っ、そんな想像しなかった!?

 

ショボーン

 

そんなの、構いません。

気にしないでお話を聞いてくださいねっ

 

ウインクウインク

 

 

このユネスコ世界文化遺産に指定されているサンスシー宮殿が建った後に

出来たので、新しいと言う意味で付けられたんです。

 

 

なので、

この新宮殿は、サンスシー宮殿とは歴史的に全く関係がなかった

って言うわけでもないんですよね〜

 

ニコニコ

 

 

いつの時代だったのかはてなマーク

日本は江戸時代の中期、1760年代の頃でした。

 

 

徳川将軍の時代にここ欧州には、

権力を持つ家がいくつかありました。

 

その中の一つ、

マリアテレージアで有名なハプスブルグ家って聞かれたことがありますかはてなマーク

 

キョロキョロ

 

そんなの初めて聞いたはてなマーク

ごもっとも。。

 

そんなの知らなくっても

ドイツでは普通に生活できます

。。

 

ラブ

 

 

フランス革命の起きた後、ギロチンの露と消えて行った

マリーアントワネット

彼女のお母さんがマリアテレジア

 

マリアテレージアとフリードリッヒ2世は宿敵の仲だったとか。。

 

ムキームキー

 

1754年から始まった戦争は、1756年に本格的に始まり、1763年まで続き、

7年戦争と呼ばれる欧州の列強国の大期な戦争と広がっていきました。

 

 

マリアテレージアとフリードリッヒ2世は

シュレージアと言われる今はポーランドになっている土地を巡って

この間、戦争の泥沼の中に身をおかなければなりませんでした。

 

ゲッソリ

 

ところで、

よく引き合いに出されるのが、このマリアテレージアとフリードリッヒ2世の生涯。

 

 

対照的な人生を送ったのです。

 

 

マリアテレージアは十六人の子宝に見舞われ、夫婦生活は円満だったそうです。

 

それに反し、

 

フリードリッヒ2世は結婚をしていたものの、王妃のクリスティアーネ妃とは、

父親がなくなるや否や、別居し、そのため跡取りはいませんでした。

 

 

思想的には、

 

政略結婚を奨励していたマリアテレージアに対し、

朕は国家第一の下僕なり

と言う封建時代にしては極めて近代的な民主的な香りさえする考えを持っていた

フリードリッヒ2世

 

 

このサンスシー宮殿の持つ庭園にそびえ建つ新宮殿では、

ロココ時代からその後ドイツ皇帝が使用する時代までの貴族文化や建築等式が

こぞってご覧になれます。

 

ところで、

このフリードリッヒはこのお城があまりにも立派すぎて

彼の思想には合わないことから、

数回足をはこんだだけなんですって、、。

 

 

マリアテレージアに勝ったプロイセン王国の権力を見せたいと言う臣下には、

彼の持つ啓蒙思想を理解できなかったのでしょう。

 

これが100年後であれば、

理解できたのかもしれませんけれども、ねっ

 

 

新宮殿のガイディングはお任せください。

 

 

 

 

本日も当ブログにお立ち寄りいただきまして

誠にありがとうございましたビックリマーク