どもっす。。
ベルリン観光現地ガイド
旅のデザイナー後藤裕起子です♪
専用車のご用意もございます
ベルリンから今日は!
当ブログの読者の方は、
お陰様で日本のみならず、世界7つの大陸に渡っています。
ベルリンのガイド業の方々にも度々ご訪問頂き、
ガイディングのご参考にして頂いているとの事。
誠にありがとうございます。
多謝
皆様の何かのお役に立てればこれ以上の喜びはございません。
1945年終戦後
ポツダムで開かれたポツダム会談にて、
ドイツはアメリカ、イギリス、フランスの資本主義諸国とソ連の共産主義国
人呼んで連合国に統治される事になりました。
大戦争であった第二次世界大戦を引き起こしてしまったドイツは、
日本同様
無条件降伏をしていました。
この連合国が上手く舵が取れなかった
それどころか、
戦争終了以前に、すでに東西の冷戦が始まって行ました。
その東西陣営は皆様も良くご存知の
ソ連を先頭に共産主義の東陣営
それに対し
アメリカを先頭に資本主義の西陣営
この東陣営と西陣営に世界の政治勢力が分かれてしまい、
その鼻先にあったのがここベルリンだったって言う訳。。
ベルリンは大きく2つに分断されて行き、
1961年についにベルリンの壁が造られてしまいます。
壁が造られた後は、
東ドイツには国家を守るという名目で
秘密警察がおかれました。
所謂独語でいうところの
スタージーです。
このスタージーは東ベルリンから西ベルリンへ
トンネルを掘り
スパイ専用の通路を作っていました。
その通路がの仕組みがご覧になれる博物館がございます。
連合国の西ベルリン在住の様子が具に分かります。
この他にも、
1948年〜1949年のベルリン封鎖の状況もバッチリゲットできます。
この飛行機で90秒タクトで西ドイツの飛行場から
西ベルリンの4つの飛行場に物資が送られていました。
その時の飛行機です。
1961年に壁ができるや否や
管理塔が東西ベルリンの境界を始め、
トランジットの道路に設けられました。
誰が造ったのか
そうです東ドイツ側なんですね。。
このように、ベルリンの壁のすぐ横に、、ネ。
この下の画像はチェックポイントチャーリーにあった
検査員が入っていた最後の建物
アメリカ軍が統治していた時の南西ベルリンで使われていた
映画館。
ここが現在博物館として展示されています。
自分達の歴史を良い事も悪い事も大切にキープして
将来のために
役立てようというこのドイツ人の姿勢
イケテマスよね
お客様の旅のデザインをお作りしています。
貴方と貴方の大切な方だけにお作りする
ご旅行プラン。
どうかお気軽にお問い合わせ下さいませ。
本日も当ブログにお立ち寄り頂きまして誠にありがとうございました