どもっす。。

ベルリン観光個人ガイド

デザイナー後藤裕起子旅のです

 

UFO専用車のご用意もございます車

 

http://berlin-kankougaido.com

 

ベルリンを始め東ドイツの観光ハイライト沢山アップしてま〜すチューリップ

 


前回ユダヤ人とベルリンというタイトルで

ブログを書いたところ思いもかけず

沢山の方に読んで頂きました。

 

ごっつぁんで〜す

 

照れ

 

ありがとうございました。。

 

 

そこで本日のお題は、

 

「ベルリンで活躍した有名なユダヤ人」

 

 

まずトップは世界の大文豪家

ヴォルフガング ゲーテも言わしめた

「モーツァルトよりスゴイ!!

 

 

あたしの大大大〜好きな音楽家

フェリックス メンデルスゾーンバルトルディ

と行きましょうか。。

 

チャンルンルン チャチャチャ〜ン音譜

 

というあの結婚行進曲で有名な作曲家!!

 

真夏の夜の夢

 

フェリックスはハンブルグで生まれました。

お父さんは銀行のダイレクターで、

 

時は日本の江戸時代

1809年生。

 

 

その当時ハンブルグはナポレオンの支配下になり、

政情を恐れたメンデルスゾーン家は、

家族でベルリンに引っ越して来ます。

 

1816年

お父さんの発案でユダヤ教からキリスト教新経に改宗します。

 

 

へぇ〜そんなに簡単に改宗なんて出来る物なのはてなマーク

 

びっくり

 

お父さんは

ユダヤ教であるよりもキリスト教を信じた方が

世間からの信望を受けやすい

 

とお考えになったようです。。

 

 

基本的に仏教から見るキリスト教よりも

ユダヤ教から見るキリスト教の方が

違和感は少ない様です。。

 

イエス キリストはユダヤ人でしたし、

その当時のイスラエルは

ユダヤ教がベースだったようです。

 

 

そこへ

キリストの教えが伝わっていったんですものね。。

 

 

フェリックスは所謂良いとこのボンボン

音楽も初めは教養の1つという事で

習い始めた物の

 

とにかく天才的な能力を

持っていたとか。。

 

 

メンデルスゾーンという名前は典型的なユダヤ名

それにバルトーリというドイツ名を付けました。

 

 

フェリックスはこのキリスト教新経の中で育って行きます。

 

成人になったフェリックスは、

彼のお父さんのこの改宗した事について、

改宗等は必要なかった。

 

彼の音楽はすでに宗教の枠を超えて

人類におしなべて愛される音楽へと

昇華されて行ったのではないでしょうか!!

 

 

ベルリン時代には、

JSバッハが100年も前に作曲しそれ以後演奏される事がなかった

 

マタイ受難曲

 

この曲を編曲し、ベルリンジングアカデミが再演

 

 

キリスト教音楽がユダヤ人の手によって日の目を見た!!

 

という事でこの史実は

音楽史に歴然と残り現在でも燦然と輝いているんですよね

これが1829年の事だったようです。。

 

ドンッメラメラ

 

フェリックスは、

ベルリンからヂュッセルドルフ、フランクフルト等を経て

ライプチッヒにやって来ます。

 

 そんな折り、

ベルリンのプロイセン王から文化都市にしたいという

王の新しい展望を聞き

音楽院を創設する尽力をしていきますが、

結局資金が集まらず

仕事はうち切れにいなってしまいました。

 

1843年

ライプチッヒに戻り、ドイツで初の音楽院を創立

 

 

大の仲好しで心から愛していた姉のファ二がなくなるや否や、

心の支えを失った彼はまるで後を追うかのように

 

1847年11月永眠します。

 

 

わずか38才の人生でこれだけのことが出来る

 

スゴイ人生だな〜って感動致します。

 

絶えずユダヤ人であるという批判中傷が彼を取り巻いていたにもかかわらず

 

本日は

ベルリンで活躍したフェリックス メンデルスゾーンバルトリの

お話でしたラブラブ

 

おっと〜言い忘れちゃいましたが、

この上の画像は、

フェリックスの住んだお う ち です鉛筆

 

 

ドイツ 本日も弊ブログにお立ち寄り頂きまして誠にありがとうございましたウインク