どもっす。。

ベルリン観光個人ガイド

旅のデザイナー後藤裕起子です

 

UFO専用車でラクチンでかつ大胆にご観光車

http://berlin-kankougaido.com

 

アップ

ベルリンを中心に東ドイツの観光スポットたくさんアップしています。

 

ベルリンの町の中に美味しいカフェの1つ

アインシュタインカフェがございます。

 

 

コーヒーの専門店でありかつお店の雰囲気が適度にエレガンス

ワイマール共和国のあの時代のタッチが嬉しく

よくお客様と参ります。

 

 

正にゴールデンベルリン時代

 

 

このアインシュタインカフェって

 

世界中の人が知っている

相対性理論を説いた

アルベルト アインシュタインと関係は直接ないのでしょうけれど、

 

彼がベルリンに住んでいた

その時代に創設したカフェなのかなって

 


そんな思いが脳裏を掠めています。。

 

 

アルベルト アインシュタインは南ドイツのウルムに生まれます。

このウルムって言う町

仕事の依頼がありもう10年も前になりますけれど

1週間滞在したことがございました。

 

 

面白いことに、

ちょうどバイエルン州とバーデンヴュッテンベルグ州にまたがっているため、

 

半分はバイエルン州

半分はバーデンヴュッテンベルグ州

 

っていうわけ、、

 

 

アインシュタインは小さい頃から

数学、物理系に長けていたそうで。

少年の頃、

代数や幾何は学校で習わなくっても

当時父親と一緒に電気工場を経営していた叔父の手ほどきを受け

完璧だったとか、、。

うずまき

 

 

家系はユダヤ人。

小学校から学校では優遇されなかったそんな少年期を過ごします。

 

 

青年になり、スイスのチューリッヒの工科大学で初めは電気工学を勉強

その後物理学研究に転身。

 

 

初めはスイスの市民権がなかったので夜学の臨時教師、家庭教師等で生活をしのぎ、

やがて市民権を取得した暁には、

ベルリンの特許局で職を得ます。

 

 

その特許局時代に、論文を書き光量子仮設、特殊相対性理論等を次々に発表し

チューリッヒ大学の学位をゲット

 

 

この時の特殊相対性理論から帰結される物質エネルギーの原理は、

原子力開放の理論的根拠になったと言われています。

 

馬

この功績により、世界に広く活躍する学術舞台に躍り出ます。

 

スイスのみならずプラハ、オーストリアのドイツ系大学教授の職を経て、

 

 

1914年

第一次世界大戦の直前

プランクやハーバーのきもいりでベルリンにあった

 

カイザーヴィリヘルム研究所物理学部長

ベルリン大学教授、プロイセン科学アカデミー西会員に迎えられました

 

その間彼の実績は、

 

1916年

一般相対性理論の完成

 

1921年

ノーベル物理学賞受賞

 

1922年

世界中、オランダ、チェコスロバキア、オーストリア、アメリカ、

イギリス、フランス、中国、パレスティナ、スペイン、ソヴィエト等で講演

日本での講演でも、熱狂的な歓迎を受けました

 

 

 

その後、

積極的に

世界の研究機関ともネットワークを繋いで行き、

科学研究の国際的強力に尽力して行きます。

 

 

しかし、

 

1933年ドイツのナチ政権下ユダヤ人として追放され

 

ムキー

渡米、米国籍を取得、1955年に没しています。

 

 

 

彼の実質的な欧州を始め世界の学術舞台に躍り出て行った

その時期に

活躍した場所がここベルリンだったんですね。

 

 

ビックリマーク

 

 

 

魅力の尽きないベルリン観光

お客様のご希望に添った観光コースをお作りしています。

 

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