どうもっす。。

 

ベルリンポツダム観光個人ガイド

後藤裕起子です

 

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走る人

ドイツの歴史と文化の宝庫

ここベルリン東ドイツ

 

恋の矢

 

そんな中で、

 

ここ東ドイツで

 

バロック音楽の黄金期を築いた

 

JSバッハ家の足跡をご紹介しています。

 

 

本日のご登場は、

 

次男カールフィリップエマヌエル バッハです。

 

ラブラブ3つも名前がある

 

C.P.E バッハ。

 

音譜

 

彼は、

 

JSのワイマール時代に生まれます。

 

名付け親は、

 

バロック音楽では

 

大変有名なテレマン。

 

テレマンの2番目の名前

 

フィリップをもらったのかもはてなマーク

 

ライプッチッヒ大学を卒業した後、

 

 

フランクフルト アン デア オーダーの大学で、

 

法律を学ぶという勉強家。

 

グッド!

 

その在学当時から、

 

クラヴィア演奏家として秀でていたらしい。。

 

 

そんな

 

CPE バッハが、

 

プロイセン王国の第三代目の王様

 

フリードリッヒ2世の

 

宮庭楽士となったときのこと。

 

1748年に

 

JSバッハが、ベルリンへ息子に会いに、

 

行きました。

 

それを聞きつけて、

 

フリードリッヒ2世(大王と国民から呼ばれていた)

 

「大音楽家のバッハさんが来た~!」

 

これは、チャンスとばかりに、

 

大王自ら彼に会うんですビックリマーク

 

どこで会ったか??

 

 

2000年にドイツで出版された

「Bach 2000」

 

筆者 ザンドベルガー氏の言

 

によりますと、

 

サンスシー宮殿で王が迎えたとあります。

 

これには、

 

異説もあるんですが、、。

 

いずれにせよ、

 

 

ポツダムであったことは間違いない史実

 

そこで、

 

大王の方から一フレーズの提示があり

 

それを、

 

大王が大作にしあげたんです

 

曲名は、

 

音楽の捧げもの

 

ここベルリンでも

 

時々ラジオのFMでこの曲が流れて来ますし、

 

ポツダムのニコライザールで

 

聴いたことがございます。

 

圧巻でした

 

ドキドキ

 

 

このCFE バッハも

 

たくさんの作曲を致します。

 

彼の作風は、

 

なんでも新風を奏でているそうで、

 

しっかりとした音楽理論に裏付けられた

 

 

繊細な音楽が特徴だとか汗

 

FMラジオで流れている曲だけを聴くと、

 

このフリードリッヒ2世の作曲もそれなりにキレイですが、

 

やはりバッハ家の筋とは次元が違い、

 

 

ここに音楽を深い次元で勉強すると、

 

こんなに違うんだ~って。。

 

 

ところで、

 

このフリードリッヒ大王は、

 

自らフルートを吹き、

 

100曲以上のフルートの曲を作曲しているんです。

 

 

この上にアップした画像は、

 

フリードリッヒ大王が建てた

 

夏の離宮。

 

 

夏になると、

 

ここで寸暇を惜しんで、

 

音楽会を開いてご満悦だった様です。

 

 

この大王は、

 

1786年に亡くなりますが、

 

それから約100年後に、

 

 

このサンスシー宮殿の音楽を奏でる間で、

 

演奏をしている様子を絵画に表した

 

メンツェルの絵を見ると、

 

その当時の様子が

 

よくわかります。

 

 

メンツェルの絵画は、

 

ベルリン博物館の島にある、

 

アルテ(旧)ナショナルギャラリーの中に、

 

展示してあります。

 

ドイツ旅行の

 

 

粋を集めたここベルリン東ドイツ

 

 

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