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Grenier Lab

屋根裏部屋工房からのお便り

 

 

先日原点に還るということを書きました。

去年の秋の終わり頃から、ある思いがあって10年前の自分に戻って作品作りをしている。

(戻るというと少し意味が違って聞こえるかもしれませんが)

世間で言われている制限や価格など度外視したところに今は居ます。

元々あるもので様々なものを作ってきた私だったのもあり、

そこで発揮されるものを私自身でまた体感したいのと、

お客さんとの密なやり取りや得るもの与えるものから生まれてくる形を・・・。

数を熟すのも、対価を得ることも勿論大事ですが、

私から出てくるものからそれは遠いところにあって、

何かが違う、と思う様になった。

それは、自分が撮る写真が教えてくれたんですね。

例えばピントが合っていなくても成り立っているとか、

そういう自分が凄く大事にしていることが以前より前に出てきているのが見て取れる。

(一般的に言うと、譲れないもの、に当て嵌まると思いますが、

私の中ではもっと細かいものなんですけれどね。)

 

 

 

こういうことを書いていたら(これを書いてるのは21日のおやつの時間)、

長年お互いに試行錯誤している友達が大きな決断をした。

私はそこに辿り着いたことに嬉しさを感じたし、

やっていることは違えど凄く分かる様な気がした。

自分に出来ることと出来ないこと、

周りからの支援とか恩義とか、そういうことに葛藤している自分。

目指したいことと現実のこと。

歳を重ねると色々なものが見えてくる。

 

相変わらず私は出展依頼を蹴ったりしています。

でも、ただ蹴っているのではなく、理由がある。

 

自分が居られる場所かどうか。

 

きっとそこなんだろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

今まで時折書いてきたけれど、

花を正面から、美しく、という目的から大きく離れたところにいる私。

どうせ撮るなら花のバックショットをどう見せるか、というとこに頭がいく。

 

美しさとか可憐さやダイナミックなものは、

大抵の人がやり続けているものなので勝負どころの話ではないと思っている。

多分私みたいな人はそこにいるとループして前に進めないことは目に見えているので。

 

商業写真でない限り、正面である必要はないのである。

 

花びらの裏、支える茎、水分が足りない葉、撮れる課題はまだまだあると考える。

 

 

 

写真という大きな目的には、

・人が見慣れたもの

・人がまだ見ぬ新しいもの

この2つに分類される。

そこからまた更に細かく枝葉として分かれていくけれど、

自分がどこを狙いたいのか探る時、先ずここから始めることになるでしょう。

 

私の場合は最終的に、

「人が触れない部分、或いは影となる部分」

というところに落ち着いた訳です。

(まあこれがストリートになるとまた変わってくるのだが、大方似たとこにいく。)

 

今はスマホのカメラでも黙っててもいい絵は撮れる。

だからこそ捻ることも混ぜ合わせることも、思い付く限り可能だと思います。

しかし、付加価値は皆無の状態になりつつある。

それを感じ取って模索している人達の姿も最近では見掛ける。

また枝葉が増えることを感じながら・・・。

 

「撮る選択」がこれからも多くを占められる世界であってほしい。