「モレスキン 人生を入れる61の使い方」
ダイヤモンド社
9/9(金)発売
小出しにしていたここ数ヶ月間。
私にとってはこの40歳を迎えた年に、大好きな相棒のモレスキンが掲載され、とても感慨深いものがあります。
思えば、私が物作りを始めたのは物心ついた頃からです。
病気がちで入退院を繰り返していた祖母の傍で折り紙を教わり、お喋りが苦手な私は自由帳にクレヨンやクーピーで絵を描く毎日。
それを祖母が、私の美術系高校受験までずっと見守り、励まし、勇気づけてくれていた。
大正生まれの祖母は、家計を支える為に働いていたのでろくに学校へも通えず、字さえ書けない人でした。
小学生だった私はある日、入院中でいない祖母の部屋に入り、毛糸を探していました。
小さな引き出しを開けると、カレンダーを切ってメモにした紙束を見付けた。
そこには、多分文字を学ぶ為に毎週買っていた週刊誌から真似したのであろう文字が不安定な筆圧で書かれていたのです。
子供ながらにその祖母の胸中を知った私は、どうしようもなく涙を流した。
きっと、誰も部屋に入ってこない時間帯に一人で書いていたのでしょう。
私はその時に、将来何らかの形で物を作り出す人になり、祖母を喜ばせたいと考える様になりました。
高校受験合格発表の日、隣りの市に入院していた祖母のもとへ行き、合格した事を知らせた。
その頃起き上がる事さえままならなかった祖母が、まるで最後の力を振り絞るかの様に起き上がり、
「詠、良かったな、ほんとに良かったな」
と涙を流し、喜んでくれた。
そして、ミカンを一つ、私に手渡したのです。
その数日後に祖母は亡くなった。
祖母はECHOの煙草が好きでした。
それでよく鶴を折ってました。
ミカンが大好きでした。
綺麗に剥く方法を教えてくれました。
南瓜餅作りが得意でした。
最高のオヤツでした。
ECHOもミカンも南瓜もオレンジ色…。
祖母を思い出す時はいつもオレンジ色。
だから、私も未だにオレンジ色が好きなのです。
作品の中にオレンジが入っているのはそんな理由なのです。
私の物作りの原点…。
祖母が私を励まし続けてくれていたからこそ、途中挫折や回り道をしても諦めずに立っていられ、今の私が居ます。
苦節時代が長かった分、今回のモレスキン本掲載が心から嬉しくてしょうがないのです。
やっと祖母に恩返しが出来た…ずっと待たせてごめんね…と。
今日の午前中、見本の献本が届いてすぐ、私は祖母の仏壇にモレスキン本を供え、おりんを鳴らしました。
因みに、今私が使っている部屋は祖母が使っていた部屋で、ここで毎日制作をしています。
モレスキン社様、ダイヤモンド社様、市川様、堀様、YOKO様、高谷様、札幌の片隅でちまちまと物作りしている私の相棒「モレスキン・グルニエ」を見付けて下さり有り難うございました。
これから沢山のユーザーが増え、素敵なモレスキンが世界に溢れる事を願って止みません。
私の掲載ページについては、発売後にまたこちらでご紹介したいと思います。
