**これまでの話**

父が脳出血で深夜から明け方にかけ、救急搬送された。
コオは妹・莉子に頼まれた入院手続きを済ませ、今は感情に蓋をして、娘らしいことをしようと考える。父に万が一のことが起こることを考え、今すべき事のリストをFAXにして莉子に送り、長い1日を終えた。

 2日後、父が意識を取り戻し、コオは面会して何が起こったのかを語った。奇跡的に父は麻痺もなく、言葉、認知についてはほぼ問題がなかった。

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 莉子に送ったFAXの返信はなかなか来なかった。
父が意識を取り戻した後、莉子が病院へ行ってるのかどうかもコオはよくわからなかった。少なくとも面会時間に彼女にあったことは一度もなかったが、それはコオの時間帯と単にすれ違ってるかも知れなかった。
 もういい加減にしろ、と思った頃に莉子から、自宅の固定電話に電話がかかってきた。


 「お姉ちゃん、パパのところ行った?」
 「行ってるよ。思ったよりちゃんと話もできるし、最近の記憶はしっちゃかめっちゃみたいだけど、過去の記憶はちゃんとしてるみたいでびっくりした。麻痺もないみたいだし。脳の奥は無事みたいだね。」
 「お姉ちゃん、そんなこと言って、パパは昔とはもう違うのよ?お姉ちゃんはわかんないかも知れないけど。」


 莉子の声が尖った。

 “お姉ちゃんはわかんないかも知れないけど”この言葉はこの後何度でも繰り返されることになる。

 コオは実際何年も実家と連絡を閉ざしていたから、知らないことが多いのは当然で、だから莉子に反論はしなかった。ただ、離れていたからこそ、冷静に見られることがあるのではないか、とは密かに思っていた。また、コオは物理的な距離以上に実家の両親と精神的にも距離をとろうとこの10年努めていたし、そもそも高校生卒業と同時に親から離れて暮らしていたから、昔と違うというのが当たり前過ぎた。

 つまり、コオにとっては、父は80代の一般的な老人として目の前にいるだけで、コオが実家にいた頃の現役バリバリのときの父と比べることなど、考えもしなかったのだ。


 おそらくは昔とは違う、と自分に言い聞かせていたのは莉子だったのかも知れない。現在の父の状態を受け入れられずにいたのは、ずっと実家ぐらしだった莉子の方だった。そうコオが考えられるようになるのは、もっとずっと後のことだった。