父と莉子の二人が住む家は、コオ達と夫の遼吾、息子たちのマンションからさほど離れていない、けれど歩いていくには遠いくらいの微妙な距離だ。車なら15分あれば、確実にたどり着ける距離。夜中から明け方に向かうその時間の道はもちろんガラ空きで、コオは10分でたどり着き、莉子をひろった。病院までは更に10分ほど。その間に莉子は、父が倒れたときの状況を語った。

 突然大きなものが落ちたような音がしたこと。

 すぐに父の部屋に行ったが、なにか引っかかってドアがすぐには開かなかったこと。

 父にドアの外から声をかけたが、不明瞭な答えしかなく、最終的に救急車を呼んだこと。

 それは、コオに対して莉子が順序立てて筋道の通った話をした、最後だったかも知れない。
 

 父はおそらく脳梗塞か脳出血だ。あるいはその両方、とコオは思った。仕事柄、脳血管系の病気には、素人よりは知識がある。救急搬送が早かったようなので、それはよかった。

 コオは、まだ夜も明けず、がらんとした暗い駐車場に車を止めた。

 病院の救急入り口からはいったコオと莉子は、医者が説明にきてくれるのを待った。莉子とここで何を話したのか、コオはもうあまり覚えてはいない。ただ、二人以外誰もいなくて、ひどく静かだったので、声を出すのがはばかられて、黙っていたようような気がする。病院のスタッフか医者から、入院の手続きをこれからしなければならないことなどもここで聞いたはずだが、これも、はっきりとは覚えていていない。ただ、医者が『お父さんが意識を取り戻すかどうかは、本人の頑張り次第です』といったのだけは、今でもはっきりと思い出せる。
 

 父は脳出血だった。言語野。
 

 ああ、父は死ぬのだな、とそのとき、冷静にコオは思った。
 まるで脊髄反射のように、頭が回りだした。
父が亡くなる。今日はともかく仕事は休みを取ろう。母のお葬式の時と同じようなことをしなければならないのだ。連絡は誰に取るべき?いや、まずはやるべきことをリストアップして、手順を考えなければ。その前に少し眠ろう。次に入院手続きだ。入院は細々したものを入院の手引きに従って、用意しなければならない。
 入院手続きをするまでは、特に今はできることは何もない。コオと莉子は一度家に戻ることにした。


 「入院手続きはお姉ちゃんがやってもいいから、保険証とか、そういうの用意して。いろいろ買わなくちゃいけないものもあるし。」


運転しながらコオが言うと、間髪入れずに莉子は言った。
 

 「私が全部わかってるから、私がやる。」

 「…そう」