あの日の絶望は正しく起きたシナリオ。 | 良い コトノハ じまりになりますように♪ midori,a~秋田緑~

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上がって落ちてまた上がる。でもよく見たら マルになってる♪

突然降って沸いた「絶望」に
全身の血が凍り付いた日のことを
まだ少しだけ覚えている。

その後の数ヶ月の記憶はない。
心が現実を完全に拒否してしまった。

その時期、私は努めて明るく生きた。
言霊には随分救われて
「いつも心に太陽を!」と唱えながら
凍ったままの日々を紡いだ。

そうしなければ
立ってさえいられなかったから。


今、あの絶望は「命拾い」だったと分かり
本当に救われたと思えている。
もしあの絶望が無ければ、きっともっと
壮絶な人生だったと確信する。

でももしもやり直せるなら、
絶望を、もっとしっかり
味わっておくべきだった。


明るく生きなくて良かったのに
心配かけて良かったのに
もっとちゃんと悲しむべきだったのに。
それだけは、悔やんでいる。


でも、だからこそ
努めて明るく生きたあの頃の私を
私は絶対に幸せにすると決めている。


絶望は、私のシナリオ通り正しく起きた。
その後にくるはずだった壮絶な日々を
救えたのだから。


大切なものを一度大きく手放して
もっと大切なものを、
私は手に入れたんだ。

今、この人生で良かったと心から思う。


あの日の絶望にも

悪役を引き受けてくれた登場人物達にも

そしてここまで生きてきた私自身にも

心から感謝している✨️




#2015大観土地さんインタビュー記事より


感情をしっかりと味わうことは、
時にとても怖くて
心も体も切り裂かれるような痛みを伴う
けれど、麻痺させたまま封印して
「なかったこと」にしてしまえば、その後
何十年も同じ轍を踏むことになる。

あれ以来、どれほど辛くてもしんどくても
「その時」に感情を味わい尽くすことに
決めた。
その時は心から血が流れても
しっかり味わい尽くした方が
早く解放出来るから。

努めて明るく生きた私は
封印された感情に気付かないまま
「悲しみ」が「怒り」に変容し
自分の中の滞りの原因がそこにあることに
十年以上も気付けなかった。

独りで乗り越えるために必死だったけれど
プロの手を借りたり、人に頼ったり

家族に甘えたら良かったと今なら思う。


でも、絶望を体験して良かったことは

実はいくつかある。


「絶望」の真逆に「希望」があるのでなくて

すぐ隣りにあると知れたことも

体験して良かったことの一つ。


傷が癒えるまで日薬は必要だったけど

傷が癒えないなんてことはないし

「これで良かった✨️」と思える今を

生きられていることが

何よりも幸せだろう。


手放したものは大きいと思い込んでいた。


握り締めていたものが、偽りと分かるまで

もう少しページをめくる必要はあるが

それでも確実に

「偽り」から「本物」の人生にスライド

できたことを祝福できる日が来る。


あの日の痛みを知っている私が

あなたの痛みを知ることもできる。


それは、財産だと思うから✨️