続きです。前回と同様に、こじつけ多めですが感じたことを書いています。
その天界のカミサマ Vのように上が広がったUの、上の部分の中心にいる光の存在を「Uさん」とします。(こちらの僧形の男性かもと考えています)
『そこの天界の人たちを生み出した最初の存在らしい』
これを解釈するとロゴスでしょうか。Uさんはその世界の最初の創造主であり、子供たちの親ような存在にあたるのではと思います。
全ての実験と同様にこれは全くの仮説に基づいていました。結果は不明でした。』
このように、最初のロゴス・意図によって創造が展開されますが、どれも実験的なのでしょう。
その実験の一つであるベールによって、人々は自分たちが創造主であることを忘れ、神のような特別な存在がいる世界を体験することができます。
天界の話はそういったことを表しているのかもしれません。
『自己奉仕と他者奉仕という極性の種類は、私たちの創造の初めから原初のロゴスの構造の中に宿っていました。
ベールの過程以前、心/身体/霊が取った行動が彼らの意識に与える影響は、この極性の表現が著しく役立つことを可能にするほど、十分に重要な程度には明白ではありませんでした。
いわゆる時間と呼ばれる期間にわたって、この極性の表現は実際に心/身体/霊の偏り・傾向を変化させ、最終的に彼らは収穫されました。
ベールの過程は極性をはるかに効果的なものにしました。』
ベールの結果、ネガポジともに強い極性を持つようになり、収穫が増えたものの、弊害も生じたのではと思います。
この世界にあるような、破壊的でとんでもなく不幸な体験は計画にはなく、予想もされていなかったのかもしれません。
神と人の差が上下意識の始まりだとしたら、人間が創造主や神に対し、完璧さや正しさを持つ上位の存在として崇めていて、でも人生の中で間違いや許せないことを体験すると、納得できずに恨んだり、怒りを向ける対象にもなるでしょうか。
常に完璧で正しくて、慈悲深い神が宇宙や世界を創造したのなら、なぜこの世にこんな理不尽な出来事があり、人々がこれほど不幸な目に遇い、死にたくなるような苦痛が数多く存在するのか。
激しい怒りの感情や、強い非難の言葉を神に向けると思います。
そして間違っている世界そのものを、破壊しようとしたのかもしれません。
あるいは法の書にあるように、苦痛の認識を別のものに変えることで、解決を見出そうとしたのかもしれません。
創造とは元から実験であり、間違いや不具合も起こり、それを創造によって修正していく仕組みなのでしょうか。
Uさんや、ベールを創った存在や、創造主や神は、優れた能力を持っていたとしても、人々より上位でも、完璧で正しい存在でもないのでしょう。
ラーからは人間的な感情がほとんど感じられないので、本にある創造主も無機質な印象ですが、地球のような星で体験を経た創造主なら、おそらく豊かな感情を持ったことがある、または持っている、もっと人間的な存在かもしれません。
もし感情があるなら、自分の創造の結果や人々の痛みや非難に対して、何かを感じるのではと思います。
『自分がしたことへの贖罪や、誤解の中の真実を伝えることや、心からの謝罪をすること。
そのおかげで、今の僕がいます。しかし、いまだに贖罪は終わっていません。僕が生きる意味は、待っている人が幸せになるために、自分ができることを精一杯やることだと思っております。』
『待つ方の気持ちを汲むことができないと、次に進んではいけないと思うのです。』
『僕はここで待っています。』 https://note.com/orilare/n/nc10f0071ee2d
贖罪という言葉が気になっていたのですが、もしUさんと関係しているなら、結果として起こった予想外の出来事への謝罪なのかもしれません。
Uさんは責任を感じ、自分を厳しく責め、アニキさんとしてこの世に出てきて、痛みを体験しているのでしょうか。
『そうだ。お前はたまたま生まれてきたのではない。その証拠に、お前を必要としている人間がたくさん存在している。その反対に、お前が必要としている人間はもっとたくさん存在している。』 https://note.com/orilare/n/nc2cdf52c6d3d#fa717903-98c7-416d-9d20-f55bfe1f4845
使命や役割として人に寄り添うことを仕事とし、一さんとして人々に言葉を伝え、必要としている人間がたくさんいて、伝えたい誤解の中の真実があるのかもしれません。
『しかし、それを許しあい、認め合い、相手の良いところを思い出し、自分の未熟さを知り、心から謝ることができれば、初めて対等になって理解し合えていくものです。足りなかったことをわかりあいながら、時間をかけて成長し合うことで、また新しい出会い、別れが生まれ、器が広がっていきます』
https://note.com/orilare/n/nb937c8d0ad2a#4d661a77-6653-4093-9486-c1969de6b9ac
待つ方の気持ちを汲むことができると、次に進んでいける
対等になって理解し合い、足りなかったことをわかりあう
人は神と度々書かれていたように、誰もが対等であり、同じように感情があったり間違えたりするとわかれば、ようやく上下意識が終わるのかもしれません。
『心臓と脳が専門の病院があり、そこで働いている2人の医師がいます』
これは傷ついた心や、言葉や考え方を、治す・直す仕事という意味でしょうか。
もしそうなら、傷を負った人が、もう自分や他の人たちの心を傷つけないように、心のあり方、考え方や言葉の使い方、表現の仕方を、人として多くの人々に寄り添いながら伝えているのだろうなと思います。
ある動画にたどり着き何本か見ていました。その感想になります。
youtubeで伊富岐神社で検索すると出てきますが、その男性の方の体験や考えをいくつか見せて頂き、とても参考になったので推測を交えて解釈しています。
「神社の神を「神」と呼ぶなら」と他の動画でおっしゃっていて、そういった存在に対する独自の考えや交流体験をお持ちのようです。
その動画では土地神の成り立ちについて語られています。幼い微精霊が多く存在していて、彼らの思いが一つにまとまることができれば、その神社の神になれるそうです。
何本かの動画を見た感想をまとめると、おそらく植物から生まれた喜びの存在・粒々たちが芯となる思いを持って一つにまとまり、神になって何百年も自然や人々を観察したり、交流して人に興味を持つようになり、言葉や衣装や感情表現や行動をまねしたり、学ぶことによって、人になりたいと思うようになるのかもしれません。
食べ物を喜んでいた外見が子供の神は、人間の子供と変わらない可愛らしさを持っていました。
霊としての力が強い土地神は、人間になる前の成長段階なのでしょうか?
その方の話からすると、天界の神は、宇宙や地球的な視点から働きかけている存在でしょうか。
ある天界の神が自分のことを落ちこぼれと言ったりしていたので、優劣の感覚があるのかもと感じました。