普段あまり自炊はしない。
元々料理が得意でないということもあるけど1人飯の日は洗い物とか片付けが面倒だからと外食やスーパーの惣菜で済ませることが多い。
だけど夫カンタロウがうちに来る日は食事を作るようになった。
今夜はポークソテーを初めて作ってみようと思う。
(料理上手のブロガーさんみたく、見栄え良く作れないので写真は撮れません)
スーパーの惣菜は美味しいけど、最近は高いなと感じることもあるので重宝してきたのが肉屋が作っているコロッケ。
1つ60円で揚げたて、衣サクサクで食べられるのがとても嬉しい。
ところが先代のおじいちゃんおばあちゃんが2年ほど前に引退し、お孫さんが引き継いだというそのお店が今月末で閉店することになった。
これは地味にショックで残念でしかない。
コロッケだけでなく、メンチカツや焼き鳥も買えたのでカンちゃんとの食卓に出したこともあるのだけど、彼からも好評だった。
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昨日の昼飯はコロッケと焼き鳥にした。
この袋に熱々コロッケと俺が大好きな焼き鳥皮串が入っている。
50年以上続いたというお店が終わるのは名残惜しいけど閉店までにもう一度食べておきたい。
ところで、わたくしショウタが暑苦しく語る、
「コロッケと小森のおばちゃまの話」
は友人や元彼の中では結構有名である。
ブログで伝えるのはくだらなくて自粛してきたけど、今夜はコロッケの話題なのでお付き合いください。
小森のおばちゃま(以下おばちゃま)、もうずいぶん前に亡くなったので若い方はご存知でないかもしれない。
映画評論家として飄々と昭和の芸能史を彩ってきたおばちゃま。
子どもの頃テレビで、
「おばちゃまはね」
「おばちゃま、こう思うの」
とあの独特の語り口を聞くとなぜか心が安らいだ。一人称が「おばちゃま」の人なんて初めて見たと思った。
そのおばちゃまが、
「戦争中、おばちゃまのお母さんが困っている人を助けるためにコロッケを振る舞っていたのよ」
と何かの番組でしみじみと語っていた時に、見たことがないおばちゃまのお母様の優しい笑顔が見えたような気さえした。
それ以来、コロッケは人助けや思いやりの象徴の食べ物としてショウタ少年の心に刻まれてきた。
高価なご馳走ではないけど、まもなく閉店する近所の肉屋が作ってきたコロッケもきっと作り手の優しい思いが詰まっていて、それを頬張る人をたくさん笑顔にしてきたんだろうなと思う。
居酒屋などでコロッケが出されると、
「小森のおばちゃまがさあ」
と語り始め、
「もうおばちゃまの話はいいよ」
「おばちゃま好きなのはよく分かったから」
と邪険にあしらわれても、つい語りたくなる幼い頃の思い出です。