読書日記 181   
「ウォーレン・バフェット名言365」 001-030  桑原晃弥 かや書房 \1,800

 「ウォーレン・バフェット 名言365」を読む。「名言365」というからには、365 ある。一日に一つで一年で読めるような企画らしい。

up 2024 05 16 (Thu)  
 
 
030 USスチールがいい会社かどうかを考えた級友は一人もいなかった。自分たちはどういう列車にのりこむかと 言うことを彼らは考えていなかった。
 
 コロンビアの級友たちは、IMBやUSスチールといった当時の大企業に就職するのに必死だった。だが、それらの会社がどういう会社なのかを 知ろうともしなかった。彼らは、大企業に入り出世階段を登ることが成功への道筋だと考えていた。
 バフェットは、グレアムの会社で働くこと、投資の世界で成功することを真剣に考えていた。自分の乗り込む列車を知ることは、 成功する上で最も大切なポイントである。
 
029 1929年からずっと古い新聞に目を通した。いくら読んでも読み足りなかった。あらゆるものを読んだ。
 
 バフェットの投資を支えるものの一つが圧倒的な読書量にある。オマハ図書館にある「金融」と名の付くすべての本を読みつくした。 コロンビア大学では、グレアムとドッドの名著『証券分析』は800ページの大作だが、すべてを暗記するほど読み込んだ。図書館にある古い新聞 を隅から隅まで、小さな記事に至るまでを目を通した。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」。
 
028 これまで私がしてきたことの中で誇れるのは、正しい師を選んだことだ。私のすべてはグレアムの出会いから始まった。
 
 グレアムがコロンビア大学で教えていることをしり、すぐに応募する。以来、グレアムに学び、グレアムの会社で数年をすごした。 これまで私がしてきたことの中で誇れるのは、正しい師をw乱打ことだ。私してきたころで誇れることは、正しい師を選んだことだ。
 
027 ベンジャミン・グレアムの『賢明なる投資家』を手に取ったことは、私の人生で最も幸運な瞬間の一つでした。
 
 バフェットは、この本に出合うことで「安い株を好むように」なった。
 グレアムの本に出会って、バフェットは「バーカースバーグ釣り具」という割安株を買った。
 
025 私は76歳になった今でも、19歳の時に読んだ考え方を実践しています。
 
 バフェットが重視しているのは、自分が定めた基本原則を忠実に守ることだ。この基本原則を教えてくれたのは、「生涯の恩師」である ベンジャミン・グレアムの著書『賢明なる投資家』である。
 ① 市場価値と内在価値の不一致という観点から証券選択を行う。
 ② 株券ではなく事業を買う。

というグレアムの基本原則を忠実に、守ることで素晴らしい成果を上げつづけている。
 
 
 
024 私は端株に関する統計の使い方を書いて送りましたが、私が統計を使って稼いだのは、この5ドルが最初で 最後です。
 
 バフェットの投資の根幹にあるのはベンジャミン・グレアムの考え方だが、グレアムと出会うまでは「テクニカル分析」に没頭していた。
 「テクニカル分析」は、過去に似たような取引があれば将来も同じようなパターンになる可能性が高いと考える。
 グレアムにあってからは、「統計はほどほどに」はバフェットの口癖になった。
 
023 何の役に立つんだ? やりたいことはわかっている。生活に困らない金がある。大学など足を引っ張られるだけだ。
 
 バフェットは小さいビジネスを始め、11歳で初めて株投資を始めている。14歳で農地を購入し農場経営をしている。コロンビア大学に進んだ 頃には、9800ドルもの資産を築き上げ、卒業じには倍の1万9700ドルになっていた。
 父の勧めで大学に進んだがバフェットは言う。何の役に立つんだ? やりたいことはわかっている。生活に困らない金がある。大学など足を引っ張られるだけだ。
 今でもそうだが、バフェットは「時間の浪費」を好まない。意味のない仕事を上手にやっても何の価値もない。
 だが、この大学進学のあかげで、ベンジャミン・グレアムに出会うことができた。
 
022 両親から財産をもらっていないし、もらいたくもなかった。でも、 生まれた場所と時期が素晴らしかった。卵巣の宝くじが大当たりしたんだ。
 
 1929年の大恐慌の後の、苦しい時代でも、私たちは着実に努力していた。極端なくらい質素な やり方でね。おかげでバフェットは、裕福といかないものの、中流階級の中ほどの生活をすることができた。 何より、いい学校に行けたことを感謝している。
 バフェットは両親から質素倹約や勤勉の大切さを学び、自分の頭で考える一匹狼的な生き方も 学んでいる。そして何よりも大恐慌の後、アメリカが急激に成長していく時期に居合わせたことが 最大の幸運だった。どんな天才でも生まれる場所と時が違えば、その才能を発揮することができないだけに、 ばでっとの宝くじは大当たりだった。
 
021 莫大な遺産を遺したバフェット家の人間はいなかったが、何も残さなかったものもいなかった
 
 バフェットの先祖ジョン・バフェットは17世紀にフランスから農民として入植、その数世代後の シドニー・バフェットは、1867年にオマハに移り食料品やを開いている。
 シドニーは、①取引は几帳面に、②お金よりも信用を大切にする。③ほどほどの設けで満足し、 早くお姉持ちになろうとしない。④死ぬまで第一で―まじめに商売を続けるうちに店は繁盛するように なった。
 sジドニーの掲げた原則に加えて、①使う金を入る金よりも少なく、②借金を作らない― が 加われば、たいていのことはずっとうまくいく、というのがバフェットの考えである。
 
020 自分の内側の得点、それに満足していれば幸せな人生を送れる。外側の得点ばかり 気にしている人は、むなしい人生を送る。
 
 バフェットがオマハ大学を卒業する前にハーバード大学のビジネススクールへの進学を希望した。確固たる 人脈が欲しかったからだ。
 バフェットは、名声や外観、他人からの評価など「外側の得点」よりも、「内側の得点」(人間関係の重視、自分の信念 を突き進むなど)を重視した。「自分がどう思い、どう生きる」かが大切である。
 
019 人生をどう生きるべきかということは父に教わった。
 
 バフェットの父はハワード・バフェットは、大学卒業後ユニオン・ステート銀行の株式仲買人となる。その後、 証券会社バフェット・スクレニ&カンパニーを開業する。
 その後、下院議員になる。ハワードは柔軟ではなかった。理想を守るためなら一匹狼もいとわず、人間関係を犠牲に することもあった。高潔さや不屈の精神はバフェットに強い影響を与えた。
 
018 失敗したやり方をわざわざ繰り返す必要はありません。
 
 人間というのは、失敗したとき、同じやり方でその失敗を取り返そうとするところ がある。
 ビジネスでも投資でも、失敗をセロにすることはむずかしい。大切なのは、 失敗したやり方を決して繰り返してはならないということだ。
 
017 ルール1:1レースだけで買えるものはいない。ルール2: 損するレースに掛けなくてもいい。
 
 バフェットは失敗に学び、そこで得た教訓や原則を大切にする。
 バフェットは、競馬場で1レースを外した後も賭けつづけ、175ドルを失ったことが ある。最初の失敗を取り戻そうとして、次々と賭け続け負けてしまった。損失は失敗したのと 同じやり方で取り戻す必要なない。胸がむかむかした。そういうことをやったのはそれが最後だ。
 原則は、守ってこそ価値がある。
 
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030 USスチールがいい会社かどうかを考えた級友は一人もいなかった。自分たちはどういう列車にのりこむかということを彼らは考えていなかった。
029 1929年からずっと古い新聞に目を通した。いくら読んでも読み足りなかった。あらゆるものを読んだ。
028 これまで私がしてきたことの中で誇れるのは、正しい師をw乱打ことだ。私のすべてはグレアムの出会いから始まった。
027 ベンジャミン・グレアムの『賢明なる投資家』を手に取ったことは、私の人生で最も幸運な瞬間の一つでした。
025 私は76歳になった今でも、19歳の時に読んだ考え方を実践しています。
 ① 市場価値と内在価値の不一致という観点から証券選択を行う。
 ② 株券ではなく事業を買う。

024 私は端株に関する統計の使い方を書いて送りましたが、私が統計を使って稼いだのは、この5ドルが最初で最後です。
023 何の役に立つんだ? やりたいことはわかっている。生活に困らない金がある。大学など足を引っ張られるだけだ。
022 両親から財産をもらっていないし、もらいたくもなかった。でも、生まれた場所と時期が素晴らしかった。卵巣の宝くじが大当たりしたんだ。
021 莫大な遺産を遺したバフェット家の人間はいなかったが、何も残さなかったものもいなかった。
020 自分の内側の得点、それに満足していれば幸せな人生を送れる。外側の得点ばかり気にしている人は、むなしい人生を送る。
020 自分の内側の得点、それに満足していれば幸せな人生を送れる。外側の得点ばかり気にしている人は、むなしい人生ということ。
019 人生をどう生きるべきかということは父に教わった
018 失敗したやり方をわざわざ繰り返す必要はありません。
017 ルール1:1レースだけで買えるものはいない。ルール2:損するレースに掛けなくてもいい。
016 何も考えていないレース参加者が多いほどいい。きちんと分析して賭けている人間がいない集団に加わることが肝心なんだ。
015 頭脳も肉体も一つしかない。それを一生使わなければばらない。頭脳も身体も大切にしないと40年後はに自動車と同じようにボロボロになる。
014 父も母も私を見捨てなかった。どちらもわたしの味方だった。自分のを信じてくれる両親がいるのは素晴らしいことだ。
013 オマハの農場を買おうとするときに、毎日その値段を見ている人はいません。買値に対して、それがどれだけの生産高を見込めるかを見るでしょう。
012 祖父は株式売買にとても否定的でした。汗水たらして働くのが本当の仕事だと考えていました。それで、私たちは、祖父を見限ったのです。
011 お金が欲しいんじゃないんです。お金を稼いだり、それが増えていくのを見るのが好きなんです。
010 二番手になって真似をするという人生を送ることは簡単だが、一番手が間違った音を吹いたら、それはだいなしになる。
009 少額でいいですから、投資をしてください。本を読むだけではだめです。
008 父の仕事場に行っては、仕事関係の本を読み漁っていました。そうするうちに投資の面白さに目ざまました。
007 私は学生たちによくこう尋ねます。クラスメイトの一人だけに投資するとすると、誰に投資しますか、と。選ばれるのは、一番実行力のある者です。
006 どういうことがビジネスの成功に関係しているかを調べた研究によると、ビジネスの成功と一番深びついていたのは、ビジネスを始めた年齢だったそうです。
005 自分から始めない限り成功はありえない。
004 10歳の時にはすでに、オマハ図書館にある金融という言葉がタイトルに入っている本はすべて、2回ずつ読みました.
003 自分の足で売り歩いてみて、私はその製品の魅力と可能性を強く感じた。その後、52年間コークが 世界中に広まるのを注意深く見守ってきた。
002 雪がよくくっついてくれるには、それなりの人間にならなけばならない。
001 私は小さな雪の玉をずいぶん若いときから固めた。10年遅く始めたら、今頃もっと山の斜面のずいぶん下に いただろう。