緑の灯火 146 色の名

 2024 05 13 (Mon)
 
 
色の名 茨木のり子  『落ちこぼれ』 理論社 \1,400
 
 胡桃(くるみ)いろ
 象牙いろ
 すすきいろ
 栗いろ
 栗鼠(りす)いろ
 煙草いろ
  色の和名のよろしきに うっとりする
 
 柿いろ 杏(あんず)いろ 珊瑚いろ
 山吹(やまぶき) 薊(あざみ) 桔梗(ききょう)いろ 青竹 小豆(あずき) 萌黄(もえぎ)いろ
  自然になぞらえて つつましさ 確かさ
 
 朱鷺(とき)いろ 鰯(いわし)いろ 鶯(うぐいす)いろ
  かつては親しき鳥だった 身近にあふれる鳥だった
 
 鬱金(うこん) 縹(はなだ) 納戸いろ 利休茶(りきゅうちゃ) 浅黄(あさぎ) 蘇芳(すおう)いろ
  字書をひいて なんとなくわかった色どり
 
 辛子(からし)いろ 蕨(よもぎ)いろ ああ わらび!
  早春くるりと照れながら
  すくすく伸びる くすんだみどり
  オリーブなんて言うのは もうやめた
 
Random events tend to occur in groups. ランダム事象はまとまって発生する。  
 
 やっと腱鞘炎が治ったというのに、今度は左足首を捻挫した。整形外科にいく。待合室は満席で、クリニックの外まであふれている。
 整形外科にいく。待合室は満席で、クリニックの外まであふれている。
 
 ああ、このクリニックはコロナの予防注射で二回ほどお世話になったことがある。
 右側に大きなきな、腱鞘炎、肩痛、腰痛、膝痛の治療室。電気治療。遠赤外線治療室にリハビリルーム。
 
 二時間ほど待機。やっと診断。レントゲン検査(異常なし)、血液検査、炎症防止と鎮痛剤を処方される。とにかく冷やしなさい。アルコール、風呂は禁止。
 血流を良くしリンパを流すために、温めるのかと質問したら、医者は炎症は冷やすのです、とあきれた様子。静かに、そっと、 運動も禁止。太極拳もダメ。散歩もダメ。
 
 ああ、やっと減量も少し調子が出てきたと思ったら、運動禁止とは。また、体重が増えるなあ。
 
 やっと腱鞘炎が治ったと思ったら、今度は捻挫か。ランダム事象はまとまって発生する。Random events tend to occur in groups. 
 
 
「脳と心のしくみ」   池谷裕二 新星出版 \1,500
 
 このクリニックは、どうせ長い時間待たされる。あらかじめたかめ持参した本を読む。
 以下は掲記の本の Prologue 2 『脳研究からみた自我の正体とは?』 東京大学薬学部 池谷裕二教授へのインタビューの一部。
 
ヒトと動物を分ける自我 
 
36 脳の研究は、ある意味では自己矛盾を孕(はら)んでいます。私たちは、脳を解明したいと思い、脳の研究をしています。しかし、脳が 簡単に解明できるほど単純なものだったら、私たしはこのような複雑な思考をすることができないはずなのです。ですから、「解明したい」という 思いと裏腹に、「脳がそんなに単純なものであって欲しくない」という願いも、どこかで持ち続けています。
 ヒトがほかの動物と大きく違うところは、自我、つまり自分が心を持つと自分で感じていることです
 一方で、ほかの動物は、意識を自分のまわりの世界に向けています。目のまえに現れた動物が自分の敵なのか、それともエサとなる ものかを判断し、自分の行動を決めるためです。しかし、人は意識のベクトルの先を、自分の外側だけではなく、内側にも向けています。 そのため、ヒトは「私とは何か?」と考えるようになりました。
 
 古代からヒトは自分について深く考えるようにできています。特に現代人にとっては、「自分とはなにものか?」が大きな問題となって います。でもそんな奇妙なことを考えているのはヒトだけです。どうして奇妙化というと、生命に必須な要素ではないからです。 ほかの動物は「自分とは何者か?」と考えたりはしませんが、生き生きと暮らしています。自我は、この意味で、 無駄なものと言えるでしょう
 
 ところが、人間は自我を無駄なものとは思っていません。それどころか、ことあるごとに「自分探し?」をやりたくなります。こでは、 自我が大切なものと思っていることの表われです。では、自我は本当に価値のあるものでしょうか?
 脳研究をベースに考えてみると、もしかしたら、自我は単なる幻影かもしれないのです
 
生物は「原因を探る」本能を持つ 
 
 先ほど私は、ヒト以外の動物が意識が自分の外側に向いているといいました。動物は生き残るために、自分の周りの世界で何が起きている かを知り、それにたいしょしていかなければなりません。それに伴って発達した心理が「原因を解明したい」という 探求心です
 たとえば、動物がいいにおいを嗅いだとき、「へえ、だから何?」と無視したら損をするかもしれません。もしかしたら、そのにおいの する場所に栄養満点のエサがあるかもしれないのです。動物はいい匂いの原因を探ることで、エサを見つけ、生き延びる確率を高めることが できます。
 また、左足に痛みを感じたら、なぜ痛みを感じるのか、その原因を探らなければなりません。原因を探ることで、怪我に対処したり、 あるいは、次回はこの道は避けようなどと学習できるのです。動物が生存の可能性を高めるには、目の前で何かの現象がおきたときに、 その原因を知りたいと思う気持ちを備える必要があります。
 こうした進化の名残として、私たちには、どんなことでも、その理由や原因を知りたくなる本能が 備わっています。これは生き物としての普遍的な特徴です。自我とは、その「知りたい」という 探索対象がたまたま自分自身に向かった場合に現れます。
 
 私たちの成長過程を振り返ってみるとよくわかります。生まれたばかりの赤ちゃんは、「私って、なんだろう?」と考える前に、お母さんや お父さんなど、まわりの人たちの存在に気づきます。生命にとって他人の存在のほうが本質的ですし、何より現実的です。それにもかかわらず、 大人になると、自分の存在が最初にあって、その私がいま世界を眺めていると思っています。この「自分が先だ」という錯覚、そこが大きな 間違いだと、私は思います。
 
実態がよくわからない自我 
 
39 それでは、なぜヒトは興味の対象を自分自身に向けるようになったのでしょうか? 正確にはわかっていません。脳の構造において、 ヒトとほかの動物との違いは、ヒトの大脳異質が大きいことです。おそらく大脳皮質が発達したおかげで、ヒトは自分というものを考えるように なったのは間違いないでしょう。私は、特に空間探索がカギを握ると感じています。動物たちも、 自分を外から眺める場面が、空間探索なのです。エサを求めて周辺を歩き回ると、 次第にその空間の地図が脳内にできます。専門用語でこれを「認知地図」と呼びます。地図とは、いわば俯瞰図です。「世界の中で 自分がいまどこにいるかを把握する能力です。いってみれば、自分の体の外に「視点」を置いて、それを眺めています。これが状巣にできる生物 ほど、エサにありつける確率が高いのです。同時に、これは自分にベクトルの先を向ける最初の一歩になります。 これを進化的に推し進めたのは、「詩文への探求心」ではないのでしょうか。しかし、それはまだ推測の段階で、現在の技術では証明できません。
 
 脳研究が進歩して、脳の機能はある程度分かってきました。しかし、自我の機能を担当する場所はまだよくわかって いません。たとえば自分の顔と他人の顔を区別している領域や、記憶に深くかかわっている領域はなどはわかってきていますが、だからといって、 それらの場所は自我を作っているとはいえません。強いていうなら、自我は脳のさまざまな部分が連携してできるものです。つまり、自我は脳の 広範囲に分散しており、その実態がまわよくつかめていないのです。
 
 一方、私たちは自我を強固な存在だと思い込んでいますが、じつは、とても漸弱なものであるという事実に気づく必要があります。たとえば、 べている間は、特に夢を見ていないときは、自我は消えています。また、麻酔にかかっているときも、私たちから意識が消失しています。そんな ちょっとしたことでなくなるしまう危うい存在、それは自我です。これを逆手にとって、麻酔の作用する場所を見つければ、私たちの自我や意識を 作り出している場所を発見できるのではないかと、真剣に考えている研究者もいます。
 
◇◇◇ 
 池谷さんの主張は面白い。
 背景には、ヒトも危険な海から競争の少なかった陸に上がってきた。アフリカのジャングルで生活していたが、探求心が安全なジャングルから危険なサバンナに 下りてきた旺盛な好奇心のせいでそこから世界に散らばっていった。進化論的な思考がある。
 進化の過程で獲得した本能からいまだに抜け出されていない。
 池谷さんは、世の中の考えで、論文で裏付けられていないことをすべて仮説ととらえているか、積極的に肯定はしていない。
 自我や意思は、脳の活動のプロセスで生まれた「脳の状態」であり、自我を持たない動物も生き生きと生活している。自我は、物質ではなく、 本質的なものではない余計なものと考えている。
 
 
Staycation 近場で過ごす休暇 『日本からは見えないアメリカの真実』 旦英夫 PHP \1,300 
 
250 アルパーティでアメリカ人に冬の休暇はいかがでしたか? ときいたら、即座に Staycation! と。
 近場で過ごす(Stay at-home)と 休暇(Vacation)で作った造語。
 
 あなたの年末年始は? と訊かれて I slept and arw New Day away (食べてばっかりの寝正月)! と答えるのも悪くない。
 
 What do you do when you just want to get away from it at all withoug going anywahere at you all? You take a staycation!
 
 まったくどこにも行かないで、諸々のことから逃げ出したいときはどうするか? それは Staycation を取ることだ! 
 
 つづく