緑の灯火 142 女の子のマーチ。 

茨木のり子  理論社 \1,400  2024 04 30 (Tue)
 
 
08 女の子のマーチ
 
 男の子をいじめるのは好き
 男の子をキイキイいわせるのは大好き
 今日も学校で二郎の頭を殴ってやった
 二郎はキャンといって尻尾をまいて逃げていった
  二郎の頭は石頭
  べんとう箱がへこんだ
 
 パパはいう お医者のパパはいう
 女の子は暴れちゃいけない
 からだの中に大事な部屋があるんだから
 静かにしておいで やさしくしておいで
  そんな部屋がどこにあるのか
  今夜探検してみよう
 
 おばあちゃまは怒る 梅干しばちゃま
 魚をきれいに食べない子は追い出されます
 お嫁にいっても三日ともたず返されます
 頭と尻尾だけ残し あとはきれいに食べなさい
  お嫁になんか行かないから
  魚の骸骨みたくない
 
 パン屋のおじさんが叫んでた
 強くなったのは女と靴下 女と靴下ァ
 パンかかえ奥さんたちが笑ってた
 あったりまえよ それにはそれなりの理由(わけ)があるのよ
  あたしも強くなろうっと1
  あしたはどの子を泣かせてやろうか
 
 
Seaze the day for a better future
 
 2024 04 29 (Mon)
 
 ぼんやり「スポーツ・ダイジェスト」か「プロジェクト X」かの番組をみていたら、「Seize the Day for a Better Future」 と いう表現が出てきた。
 そうか、「Seize the Day for a Better Future」 なんだ! 、「Seize the Day for the Better Future」 でも、「Seize the Day for Better Future」 でもなく。
 
① 「Seize the Day for a Better Future」: あなたの人生でいくつかあるかもしれないひとつのよりよい成功の、その瞬間(、チャンス)をつかめ。
② 「Seize the Day for the Better Future」: 特定のよりよい成功のために、その瞬間(、チャンス)をつかめ。
③ 「Seize the Day for Better Future」: ???。
 
 不定冠詞(a)はいくつかあるものに、定冠詞(the)は特定のものに、無冠詞は一般的な概念などにつける、とおそわった記憶がある。
 
 ソール・ベローの『その日を掴め』の原題は、Seize the Day であったなあ。
 
 
 
人間は、パターンやルールを探し求める
 
 2024 04 28 (Sun)
 
 ハワード・マークスの『市場のサイクルを極める』を読んでいて、気づく。
 ああ、私は知識を求めて本を読んでいた。人生の後半での講師時代の10年間に、生徒からの質問にすべて答えようとしていた。
 しかし、マークスの本を読んでいて、きづく。① 人生には解のない問題にあふれている、② 知識よりもその知識を(残り少ない)生活に どう活用するか、も大切なのだ、と。
 そう、解のある問題と解のない問題を識別し、解のあるかもしれない問題をこの残り少ない時間に、どう活用するか、だ。
 
 [マークスの一部を引用する]
 人間は進化の過程で、現実の生活の中で生きていくためには、パターンやルールを探し求める。経験を通じて一日や一年のなかでサイクルを 認識する修正は、原始時代からあった。たとえば、母ライオンは子度を連れて水飲み場にくる時間帯にそこに行くには危険だ。ある作物は春よりも 秋に植え付けをしたほうが収穫が多いことを生活の中で知った。  ルールやパターンが絶対であればあるほど、暮らしやすさは増す。今では、説明のつくパターンを探し求める機能が人間の脳に根づいている。
  
 しかし、そこから勝利の方程式を求める方法は一筋縄ではいかない。我々は、ランダム性に惑わされる世界に生きている。
  
 直観という流れに逆らって泳ぐことは困難なことだ。人間の頭は一つひとつの出来事にひとつの明確な原因を特定するようにできている ため、無関係あるいはランダムな要素を受け入れようとしない場合がある。
 そこでまず大切なのは、成功や失敗が時として、優れた技能やどうしようもない無能さではなく、『偶発的な状況』に起因すると気づくこと だ。ランダムなプロセスは自然界の基本であり、われわれの日常生活のいたるところで見られる。だが、ほとんどの人はそうした点を理解していないか、あまり考えずにいる。
 
 相場が今後も上昇したり下落したりし続けるのは間違いない。そして、①なぜ変動するのか、②どのような要因からそうした変動が ある程度、差し迫った状態になるのか、という点はある程度分かる。だが、いつ上向いたり、下向いたりするのか、動き始めたらどこまで行くのか、 どんなペースで変動するのか、いつ中心点に戻り始めるのか、反転してからどこまで動きつづけるのか、といったことは、これから先も絶対に 知りえない。よくわからないと認めることは多々あるのだ。
 ただ、サイクルのタイミングについてほとんど知らない、という認識は、サイクルに無知な大多数の投資家に対しては大きな優位性となる。
[引用おわり] 
 
 むかし組んだ移動平均(Moving Average)、乖離率(Divergence Rate)、相対力指数(Relative Stremgth Index)なのプログラムを改変して、 マークスのいう「振り子」や「サイクルの位置」を測定する方法を開発している。
 でも、悲しい哉(かな)、JAVA は昔ほどスムーズには 私に協力的ではない。プログラム脳は錆びついていて、JAVA 解説書と格闘している。
 
 
 
 
円安を加速させる米「3高」
 
 2024 04 26 (Fri)
 
 日銀の金融政策会議で植田さんは、当面の円高が物価高を誘導することはない、緩和的政策を維持すると言った。
 途端に、円は155円から158 円の 「34年ぶり」の円安になった。
 
 近頃、「30ぶりの円高」とか 「40ぶりの株高」とかの「50年に一度の集中豪雨」と「100年に一度も猛暑」とが、正規分布でいう 3σ(さん・しぐま)を超える異常事態が頻発している。
 ロシアがウクライナを侵略したり、イラン(やその支援組織)とイスラヘルがミサイル攻撃を繰り返す。米中の貿易・技術・覇権競争が 厳しさを増す。「何でもありの世界」になりつつある。
 
 かつて、世界二位の経済大国であった日本のGDP規模は、はるか前に中国に負け、ドイツに負け、近いうちにインドに負け、いまや多くの 発展途上国に追い抜かされそうな状態にある。
 一国の経済は、人口*一人当たりの生産性で概算できる。人口は減りづづけ、一人当たりの生産性も今や中流の国になっている。
 日本は長年移民を排斥してきたが、効果の見えない「子育て支援政策」よりも、人口減少率が横ばいになるまで、東南アジアなどの若い技術者とどんどん受け入れればいい のに、といつも思う。
 
 
 かつての栄光の米国は以外にも、凋落傾向を見せることなく、① 個人消費や設備投資の堅調さで比較的高い成長力、② 収まらないインフレ率(高インフレ)、 ③ 高金利という「三高」が根底にあり、米国10年債の金利は高止まり(4.7%)している。
 
 植田さんの政策金利は1%程度である。米国は 4・5%である。金利差は、3・5%ある。安い日本円を売って 利回りの高い米国債で運用する方が、経済的には圧倒的に有利である。この構造的金利差を放置して、財務省高官の口先介入では円安は止まら ない。
 
 植田理論: 円安で輸入物価を高騰させる→国内の価格転嫁を促す→消費者物価が上昇する→春闘で賃金を上昇させる→購買力が向上する →物価上昇につながる→インフレ目標2%に近づく→金利をすこし(0.25%)あげててみる
 市場では、この金利変更は(1% → 1.25%)、は 24年秋ごろとみなされている。それまでに、160, 170 円にならないことを祈る。
 そのうち、米国は(0.25%)利下げに踏み切る。金利差は、少し縮まる。