鈴木俊隆 「禅マインド ビギナーズ・マインド」 06 姿勢 03
「Zen Mind, Beginner's Mind」 Shunryu Suzuki SAMGHA up 2018 05 21 (Mon)
Posture
These forms are not the means of obtaining the right state of mind. To take this posture is itself to have the right state of mind. There is no need to obtain some special mind.
姿勢
この姿勢は、正しい心の状態を得るための手段ではありません。このような姿勢をとること、そのものが正しい心の状態 なのです。なにか特別の心の状態を得る必要はありません。
身体は、前後、左右に傾けないようにします。自分の頭で空(そら)を支えているように、まっすぐに座ります。 これは 姿勢や呼吸のためだけではありません。ここには、仏の教えがあるのです。ここには、仏の教えのキー・ポイントがあるのです。 それは、あなたの中にある仏の完全な表現なのです。仏の教えを本当に理解しようと願うのであれば、 このように座ります。この姿勢は、正しい状態を得るための手段ではありません。この姿勢をとること自体が、私たちの 修行の目的なのです。
あなたがこの姿勢をとるとき、心はすでに正しい状態にあります。ですので、それ以上の特別の状態を得ようとする 必要はありません。
なにかを得ようとすれば、心はさまよいはじめます。得ようとしないとき、あなたの身体も心も、今、ここにあります。
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両手で法界定印)を結び、結跏趺座で、自分の頭で空を支えるように坐る。
この姿勢は「調息」「調心」のための手段ではない。この姿勢そのものが「仏の完全な表現」であり「修行の目的」だ。
「建長寺」でも「円覚寺」でも「総持寺」でも、こういう風に教えられたことはなかったなあ。
ただ、座りかた、印、姿勢については教えられたが、それは「調身(身を整える)」のためであり、「調息(呼吸を整える )」ためであり、「調身」「調息」は、「調心」のためである、と教えられたように思う。
でも、いま考えてみると、「調身」は「調息」のための手段であると同時に、「調身=正しい姿勢」はそれ自体が目的であり、 「調息」は「調心」の手段であると同時に、「調息」もそれ自体が目的(=仏の姿勢の表現)なのかもしれないなあ。
そうか、何か(たとえば、心の平静さ、あるいは悟り)を得ようとするのではなく、座ること自体が修行の目的なのだ。
鈴木さんのやさしいことばでの話(文章)には迫力、説得力があるなあ。
つづく